オスロ市内で行われたパレードの先頭を歩く花垣さん(中央)=12月10日 「しんぶん赤旗」提供

 日本原水爆被害者団体協議会(被団恊)のノーベル平和賞授賞式が行われたノルウェーの首都オスロで、受賞を共に祝おうと原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の一員として、京都から参加した被爆者で京都原水爆被災者懇談会の花垣ルミ世話人代表(84)が12月14日に帰国。現地での被爆証言やパレード、市民・国会議員との交流などについて聞きました。

田中熙巳さん講演に「涙あふれた」

 花垣さんは10日の授賞式をオスロ図書館に設置されたパブリックビューイングで視聴。被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんの講演を聞き、涙があふれたと言います。講演の最後に、日本政府が一貫して国家補償を拒んでいることや核兵器禁止条約に背を向けていると批判したことについて、「うれしかった。田中さんは世界にこのことを言いたかったんだと思う。会場では驚きの声が上がり、大きな拍手が起きた」と話しました。

被爆2世のイチョウと参加証を手に話す花垣さん

 11日には「広島からガザへ」と題したパネルディスカッションで、ガザから避難したジャーナリストのモタズ・アザイザ氏と対談。アザイザ氏は、自分が逃げたことに負い目を感じていると話し、花垣さんは自身の被爆体験とともに、優しく語りかけたと言います。「多くの被爆者は核爆弾が落ちて逃げまどい、家族を救えず、つらい思いをしてきました。でも生きてきた。そして、その体験を語り続けている。戦争はだめだよと、あなたも一緒に言い続けよう」と話すと、涙を流し、互いに手を取り合ったと話します。

 京都の板金加工業の髙山喜晴さんが作った銅板の折り鶴、各地から被爆者が持ち寄った折り鶴を国会前で国会議員に手渡しました。授賞式後のたいまつパレードでは、先頭を行進。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー(戦争)」などとシュプレヒコールを唱和しました。

 オスロの平和団体が育てている被爆2世のイチョウの種を紹介するセレモニーではイチョウの葉をプレゼントされました。

核兵器禁止条約に日本が参加を

 被爆証言を行ったのは、オスロ図書館、国会議員との朝食会、パネルディスカッションの3カ所。自身の被爆体験を振り返った紙芝居「おばあちゃんの人形」の英語版を披露し、次のように話したと言います。

 「今が最後のチャンスなんです。来年は被爆80年、二度と被爆者をつくらないため、唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約にサインするよう、外国からも声を上げてほしい。私たち被爆者の願いは、核戦争のない、核なき社会。どうか、一緒に声を上げてほしい」

 この呼びかけに会場からは大きな拍手が寄せられたと話しています。