歴史の闇を浮き彫りに/ドキュメンタリー映画『レッド・パージ~今に続く負の遺産』4月4日から京都シネマ

米軍占領下、共産党員・支持者3万人以上を職場追放
米軍占領下の1949年から50年にかけて、日本共産党員と支持者を職場から追放した思想弾圧事件=レッド・パージの被害者や研究者などの証言を通じて事件の全容を浮き彫りにするドキュメンタリー映画『レッド・パージ~今に続く負の遺産~』(監督・鶴見昌彦、製作・レッド・パージ反対全国連絡センター、カラー75分)が4月4日から10日まで、京都市下京区の京都シネマで上映されます。
戦後GHQは、中国共産党による政権誕生の可能性が強まると、日本を東アジアにおける反共の砦(とりで)として位置づけ、経済的に自立することを求めました。
これに呼応して政府や民間大企業は1949年、合理化・首切りを進め、多くの共産党員や支持者の職を奪いました。
50年5月マッカーサーは、書簡で国会議員を含む日本共産党中央委員24人、アカハタ編集委員の公職追放を指令すると、吉田内閣は共産主義者等を公職追放することを閣議決定。政府や企業は、共産党員や支持者を職場から追放していきました。
職を追われた共産党員や支持者は3万人以上。「アカ」として公表され、再就職も困難となり、自殺、一家離散に追い込まれるなどの悲劇も生まれました。
被害者の多くが他界するなか、戦後日本の重大な人権侵害事件でありながら、いまだ未解決であるこの問題の記憶を次世代にも伝えたいと、映画化が企画され、昨年9月に完成しました。
映画では、被害者が突然解雇された苦悩や当時の職場や労働組合の状況を証言。
研究者や弁護士は、東アジアの政治情勢の変化に伴って、GHQが公然と共産党を攻撃するようになった歴史的経緯を解説するとともに、政府や民間大企業が、GHQの指令を拡大解釈して、共産党員や支持者の職場からの追放や、首切りを進めた責任についても言及しています。
また、元新聞記者は、良心の自由を擁護するべき新聞がその役割を放棄し協力したことを批判。日本共産党の市田忠義副委員長は、当時の党の歴史を解説しています。
作品は、被害者の救済は未解決で、レッド・パージの問題が、占領期の負の遺産と地続きにある現代の日本社会に生きる私たちに、戦後民主主義の在り方を問うものだと訴えています。