むらおか はなこ

村岡花子
旧姓名(本名)は安中 はな(あんなか はな)。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどを手がけた。ことに「赤毛のアン」シリーズを日本に紹介・翻訳したことで知られる。
1893年6月21日、山梨県甲府市のクリスチャンの家に生まれる。東京に育ち、11歳からカナダ系ミッションスクール・東洋英和女学校へ編入学。同校で、カナダスタイルの寄宿舎生活の中でカナダ人宣教師から英語で授業を受ける一方、佐佐木信綱からは万葉集や古典を学ぶ。
卒業後、山梨英和女学校へ英語教師として赴任。3年後、銀座の教文館の編集者となる。
1919年、同じくクリスチャンの村岡敬三と結婚し、村岡姓に。
1926年、最愛の長男を病気で亡くしたことをきっかけに、日本中の子どもたちの健全な成長を祈り、英米児童文学を翻訳紹介することを自分の道とし、1927年にマーク・トウェインの『王子と乞食』を翻訳出版。
1939年、第二次世界大戦が勃発し、日本を去る宣教師のミス・ショーに友情の記念として託された“Anne of Green Gables”が、「アン・シャーリー」との出会いとなった。以後、英語が敵性言語として規制されるなか、灯火管制のもと翻訳を続けて終戦の頃に訳し終え、1952年に三笠書房から『赤毛のアン』を出版。原書を得てから、刊行されるまでには実に13年の歳月がかかった。
その後、アンシリーズ、エミリーシリーズ、丘の家のジェーン、果樹園のセレナーデ、パットお嬢さんなど、モンゴメリの作品翻訳を次々と手がける。
童話集に『たんぽぽの目』、『桃色のたまご』など、随筆集に『生きるということ』、『雨の中の微笑』、『心の饗宴』など、絵本の翻訳作品に『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』、『アンデイとライオン』、『ごきげんなライオン』など。
1960年、児童文学に対する貢献によって藍綬褒章を受賞。
1968年、脳血栓で死去。
現在、村岡の生前の書斎は彼女の孫・村岡美枝、恵理らによって「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として公開されている。