9月21日(日)14時~16時半、京都大学医学部芝蘭会館稲盛ホール(京都市左京区吉田近衛町。市バス「近衛通」下車、または京阪鴨東線「神宮丸太町」5番出口より徒歩約10分)TEL075・753・9336。
菅原和孝氏(京都大学)の京都大学定年退職に合わせて、著名な小説家・詩人・評論家である、池澤夏樹氏との公開対談を開催。
菅原氏の人類学的な思考は、人類学の著作だけでなく哲学的著作に、さらにはフォークナーの小説に見られるような文学的想像力につよく刺激されたものである。それはたとえば、氏の『もし、みんながブッシュマンだったら』(1999年)における、人類学的思考に貫かれたエスノグラフィーと、子どもに語りかけるような物語とが融合したような独自の文体に顕著にみられる。
そうした菅原氏の仕事にかねてから注目されているのが、池澤夏樹氏である。池澤氏は菅原氏の著作を何度も書評でとりあげ、『身体の人類学』(1993年)について「これは随分魅力的な本である」、『もし、…』について「これは相当な名著である」と、高く評価されている。池澤氏自身、ギリシアに長く暮らした経験をお持ちのフィールドワーカー的な小説家である。南の島へ漂着した主人公を描いた小説『夏の朝の成層圏』(1984年)でデビューして以来、氏は一貫して国内外世界各地を旅し、さまざまな地域の自然と人びとの暮らしをその小説世界の基本的な土台におりこみながら、執筆活動を続けてきた(たとえば『マシアス・ギリの失脚』(1993年)における南洋、『すばらしき新世界』(2001年)におけるムスタンなど)。
今回の対談は、このように相通じる部分をお持ちでありながら、これまで直接の面識がなかったお二人に、「人類学的思考と文学的想像力のからみあい・相互貫入」というキーワードのもと、自由闊達に対話していただくというものである。
人類学的なフィールドワークと文学的な活動とのあいだ、両者がからまりあうようなどこかにある創造性の源とは、いったいどのようなものなのか。シュルレアリスムと人類学の近接性など、類似した議論が以前になかったわけではないが、日本の人類学者と日本の小説家が、文学と人類学の関係をめぐって同時代的に語る機会は、これまでほとんどなかったといえる。その意味でこの対談が、人類学に関心をもつ人びとのみならず、文学的想像力/創造力に関心をもつ、ひいては同時代を生きる知的精神のあり方全般に関心をもつ人びとにとって、有意義な懇談会となることを希望している。
「『引き裂かれた自己』、あるいは『二重生活者』。こことはべつの所に『もうひとつの国』があり、自分は本来そこに所属しているのだという思い。しかしもちろんこれは幻想であり、現実逃避にすぎない。私は自分のなかにそのような逃避への衝動がとぐろを巻いていることをはっきりと自覚する。だが、その一方で私は、グウィの人々とともにくらすという体験が、母国の生活のなかで衰弱している自分に、ある種の『元気』をふきこんでいることを確実に感じる」。
実を言えば、ぼくもまったく同じことを感じているのだ。(池澤夏樹『読書癖3』より。前半部分は、菅原和孝『身体の人類学』からの引用です。)
500円。
表題を「対談イベント参加申し込み」とし、「氏名(所属)、電話番号またはメールアドレス、希望人数」を明記のうえ、メールで申し込み。※9月15日(月)締切
問い合わせTEL050・3695・2818/0921talk[at]gmail.com。
https://www.kyoto-minpo.net/event/archives/2014/09/21/post_2280.phphttps://www.kyoto-minpo.net/event/wp-content/uploads/2015/04/20140921-01-thumb-150x200-26617.jpghttps://www.kyoto-minpo.net/event/wp-content/uploads/2015/04/20140921-01-thumb-150x200-26617-150x150.jpgkyomin-minpoイベント 9月21日(日)14時~16時半、京都大学医学部芝蘭会館稲盛ホール(京都市左京区吉田近衛町。市バス「近衛通」下車、または京阪鴨東線「神宮丸太町」5番出口より徒歩約10分)TEL075・753・9336。
菅原和孝氏(京都大学)の京都大学定年退職に合わせて、著名な小説家・詩人・評論家である、池澤夏樹氏との公開対談を開催。
菅原氏の人類学的な思考は、人類学の著作だけでなく哲学的著作に、さらにはフォークナーの小説に見られるような文学的想像力につよく刺激されたものである。それはたとえば、氏の『もし、みんながブッシュマンだったら』(1999年)における、人類学的思考に貫かれたエスノグラフィーと、子どもに語りかけるような物語とが融合したような独自の文体に顕著にみられる。
そうした菅原氏の仕事にかねてから注目されているのが、池澤夏樹氏である。池澤氏は菅原氏の著作を何度も書評でとりあげ、『身体の人類学』(1993年)について「これは随分魅力的な本である」、『もし、…』について「これは相当な名著である」と、高く評価されている。池澤氏自身、ギリシアに長く暮らした経験をお持ちのフィールドワーカー的な小説家である。南の島へ漂着した主人公を描いた小説『夏の朝の成層圏』(1984年)でデビューして以来、氏は一貫して国内外世界各地を旅し、さまざまな地域の自然と人びとの暮らしをその小説世界の基本的な土台におりこみながら、執筆活動を続けてきた(たとえば『マシアス・ギリの失脚』(1993年)における南洋、『すばらしき新世界』(2001年)におけるムスタンなど)。
今回の対談は、このように相通じる部分をお持ちでありながら、これまで直接の面識がなかったお二人に、「人類学的思考と文学的想像力のからみあい・相互貫入」というキーワードのもと、自由闊達に対話していただくというものである。
人類学的なフィールドワークと文学的な活動とのあいだ、両者がからまりあうようなどこかにある創造性の源とは、いったいどのようなものなのか。シュルレアリスムと人類学の近接性など、類似した議論が以前になかったわけではないが、日本の人類学者と日本の小説家が、文学と人類学の関係をめぐって同時代的に語る機会は、これまでほとんどなかったといえる。その意味でこの対談が、人類学に関心をもつ人びとのみならず、文学的想像力/創造力に関心をもつ、ひいては同時代を生きる知的精神のあり方全般に関心をもつ人びとにとって、有意義な懇談会となることを希望している。
「『引き裂かれた自己』、あるいは『二重生活者』。こことはべつの所に『もうひとつの国』があり、自分は本来そこに所属しているのだという思い。しかしもちろんこれは幻想であり、現実逃避にすぎない。私は自分のなかにそのような逃避への衝動がとぐろを巻いていることをはっきりと自覚する。だが、その一方で私は、グウィの人々とともにくらすという体験が、母国の生活のなかで衰弱している自分に、ある種の『元気』をふきこんでいることを確実に感じる」。
実を言えば、ぼくもまったく同じことを感じているのだ。(池澤夏樹『読書癖3』より。前半部分は、菅原和孝『身体の人類学』からの引用です。)
500円。
表題を「対談イベント参加申し込み」とし、「氏名(所属)、電話番号またはメールアドレス、希望人数」を明記のうえ、メールで申し込み。※9月15日(月)締切
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