4月25日(日)10時半開演(9時半開場)、京都観世会館(京都市左京区岡崎円勝寺町44。地下鉄東西線「東山」1番出口北徒歩5分。有料Pあり)。
能「俊寛」浦部好弘、狂言「太刀奪」茂山七五三、能「三山」観世銕之丞、能「邯鄲」青木道喜。
一般6500円(前売り6000円)※1F指定席、学生3000円※2F自由席。
問い合わせTEL075・771・6114(京都観世会館)。
俊寛 しゅんかん
平家倒滅の陰謀が露見して、俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の3人は平清盛に鬼界島に流されていたが、今度清盛の娘の中宮が懐妊されたので、安産のご祈祷のため、非常の大赦が行われることとなる。赦免使が都を発ったころ、島では3人が谷水を酒になぞらえて酒を飲み交わしながら、栄華の昔をしのび、今の身の上を嘆いていた。そこへ赦免使が着き、赦免状を示したので、俊寛は喜んで康頼に読ませると、無情にも俊寛の名前だけが書かれていなかった。驚く俊寛は「筆者の誤りではないか」と疑うが、繰り返し見ても俊寛の文字はなく、1人許されない身の上を知り、怒りと絶望に打ち震える。やがて2人の船出の時が来て、「せめて向かいの地まで」と哀願し、纜(ともづな)にしがみつく俊寛だったが、突き放され力尽きる。僅かに「時機を待て」という慰めの言葉を残して、船影は遠く消えて行くのだった。
三山 みつやま
京都洛北大原の良忍上人は融通念仏を国土にひろめていたが、このたびは大和の国に赴いて耳成山のふもとまでやって来て、所の者から、この耳成山と香久山、畝傍山を三山と呼ぶことを聞く。そこへ里の女が現れ、香久山に住む勝手公成という男が、畝傍山の桜子という女と耳成山の桂子という女とに通ったため、2人の女が争ったが、男の心が畝傍山の色好みの桜子に傾いたため、耳成山の優しい桂子は池水に身を投げて果てたことを物語る。そして女は池水の底に消える…
夜もすがら、池のほとりで上人が回向(えこう)をしていると、畝傍山の女桜子の亡霊が狂おしく現れ、「因果の花につき祟る嵐を取り退けて下さい」と、懺悔の様を示す。続いて出て来た桂子の亡霊が桜子を嫉妬して後妻(うわなり)打ちをするが、「因果の報いはこれまで」と、その恨みも晴れ、ほのぼの明ける飛鳥の川に、夢流れてこの物語は終る。
邯鄲 かんたん
蜀の国の青年盧生は人生の悩みを解決しようと、楚の国羊飛山に住む高僧の教えを受けるために旅に出る。途中、邯鄲の郷で宿をとった盧生は、宿の女主人から奇特な邯鄲の枕の話を聞き、粟の飯が炊けるまでの間、その枕で一眠りする。─眠りにつくやいなや勅使がやってきて、盧生に楚の国の王位が譲られたと告げられる。思いもよらない知らせに驚く盧生を乗せた輿は宮殿に着く。雲龍閣や阿房殿のすばらしさ、金銀の砂を敷きつめた広大な庭の美しさ、出入りする人々の装いの見事さ。栄華の日々を送ること50年。廷臣が盧生に1000年の寿命を保つ霊酒を奉げる。童の舞を見つつ自らも喜びの舞を舞う。
─ハッと目覚めるとそこは元の宿の部屋、女主人が粟の飯ができたことを知らせる。茫然と起きあがった盧生は、栄華に満ちた日々も所詮は粟炊く間の一睡の夢と悟り、人生の悩みも消え、晴れやかに故郷へ帰って行く。
https://www.kyoto-minpo.net/event/archives/2010/04/25/post_1908.phphttps://www.kyoto-minpo.net/event/wp-content/uploads/2015/04/noimage.jpghttps://www.kyoto-minpo.net/event/wp-content/uploads/2015/04/noimage.jpgkyomin-minpoイベント京都観世会館 4月25日(日)10時半開演(9時半開場)、京都観世会館(京都市左京区岡崎円勝寺町44。地下鉄東西線「東山」1番出口北徒歩5分。有料Pあり)。
能「俊寛」浦部好弘、狂言「太刀奪」茂山七五三、能「三山」観世銕之丞、能「邯鄲」青木道喜。
一般6500円(前売り6000円)※1F指定席、学生3000円※2F自由席。
問い合わせTEL075・771・6114(京都観世会館)。
俊寛 しゅんかん
平家倒滅の陰謀が露見して、俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の3人は平清盛に鬼界島に流されていたが、今度清盛の娘の中宮が懐妊されたので、安産のご祈祷のため、非常の大赦が行われることとなる。赦免使が都を発ったころ、島では3人が谷水を酒になぞらえて酒を飲み交わしながら、栄華の昔をしのび、今の身の上を嘆いていた。そこへ赦免使が着き、赦免状を示したので、俊寛は喜んで康頼に読ませると、無情にも俊寛の名前だけが書かれていなかった。驚く俊寛は「筆者の誤りではないか」と疑うが、繰り返し見ても俊寛の文字はなく、1人許されない身の上を知り、怒りと絶望に打ち震える。やがて2人の船出の時が来て、「せめて向かいの地まで」と哀願し、纜(ともづな)にしがみつく俊寛だったが、突き放され力尽きる。僅かに「時機を待て」という慰めの言葉を残して、船影は遠く消えて行くのだった。
三山 みつやま
京都洛北大原の良忍上人は融通念仏を国土にひろめていたが、このたびは大和の国に赴いて耳成山のふもとまでやって来て、所の者から、この耳成山と香久山、畝傍山を三山と呼ぶことを聞く。そこへ里の女が現れ、香久山に住む勝手公成という男が、畝傍山の桜子という女と耳成山の桂子という女とに通ったため、2人の女が争ったが、男の心が畝傍山の色好みの桜子に傾いたため、耳成山の優しい桂子は池水に身を投げて果てたことを物語る。そして女は池水の底に消える…
夜もすがら、池のほとりで上人が回向(えこう)をしていると、畝傍山の女桜子の亡霊が狂おしく現れ、「因果の花につき祟る嵐を取り退けて下さい」と、懺悔の様を示す。続いて出て来た桂子の亡霊が桜子を嫉妬して後妻(うわなり)打ちをするが、「因果の報いはこれまで」と、その恨みも晴れ、ほのぼの明ける飛鳥の川に、夢流れてこの物語は終る。
邯鄲 かんたん
蜀の国の青年盧生は人生の悩みを解決しようと、楚の国羊飛山に住む高僧の教えを受けるために旅に出る。途中、邯鄲の郷で宿をとった盧生は、宿の女主人から奇特な邯鄲の枕の話を聞き、粟の飯が炊けるまでの間、その枕で一眠りする。─眠りにつくやいなや勅使がやってきて、盧生に楚の国の王位が譲られたと告げられる。思いもよらない知らせに驚く盧生を乗せた輿は宮殿に着く。雲龍閣や阿房殿のすばらしさ、金銀の砂を敷きつめた広大な庭の美しさ、出入りする人々の装いの見事さ。栄華の日々を送ること50年。廷臣が盧生に1000年の寿命を保つ霊酒を奉げる。童の舞を見つつ自らも喜びの舞を舞う。
─ハッと目覚めるとそこは元の宿の部屋、女主人が粟の飯ができたことを知らせる。茫然と起きあがった盧生は、栄華に満ちた日々も所詮は粟炊く間の一睡の夢と悟り、人生の悩みも消え、晴れやかに故郷へ帰って行く。kyomin-minpo
seinen@kyoto-minpo.comAdministrator京都イベントなび