京都 町家の草木

牡丹の葉

牡丹
ボタン【ボタン科ボタン属】 今も昔も変わらず秋は行楽の季節。人は皆、郊外へと出掛ける。そして残された静かな洛中の庭には、紅葉した牡丹の葉が存在を際だたせている。その葉は、9月の半ば頃になると急に色あせはじめ、そのまま枯れるのかと思いきや、葉先の方から思わぬ色彩を放ち始める。
 初夏に見た、あの花の真に秘められたままになっていた本性の力がみなぎっているかのよう。ここにきて、この色彩を滲ませることに心の揺すぶられる思いがする。
 牡丹は、たいそう気にかけてもらえる植物のひとつ。花の頃には五月の雨に当たらぬように傘をさしてもらい、花が終わればたっぷりと肥料をもらう。夏は、葉に銀の露を輝かせて魅了し、冬には藁の小屋で優しく覆ってもらえるほど。ただ秋だけは、あの紅葉をもってしても取り立てて愛でる人の少ないのはどうしたことだろう。
 京の人は「ちょっとそこまで」と、お弁当を持って行楽へ出かける。
 むかし、こうした人々の手には、「行楽弁当」と称される塗りの弁当皆具が提げられていた。お重、小皿、盃、徳利がひと揃えになって手提げ出来るようにまとめられている。なかには、銅壺(どうこ)という、小さな湯沸かし用具を備えて、お酒を燗に出来るように工夫を凝らしたものまである。
 その頃、野外に宴を持つことは贅沢な楽しみであった。そうした行楽には、かように季を楽しむ人々の風情を端から眺める楽しみもあった。双方、互いに紅葉の野に遊ぶ自分の姿を「見られる」ことを心得ていたように思われる。
 行楽地での紅葉狩りの風景はすっかり様変わりして、今は「見る」ことだけ。葉の照りを見るだけなら、わざわざ行楽地に出向くまでもない。庭の牡丹の葉に目をやり、または道ばたの草の葉や街路樹の移ろいを気安い散歩の道すがら見るので充分すぎるほど。
 人々が郊外へ出払った静かな洛中の休日。「ちょっとそこまで」手ぶらで秋を見つけるプロムナードに出掛ける。
2009年10月23日 11:45 |コメント4
絵:杉本歌子 プロフィール
1967年2月13日、京都生まれ。京都芸術短期大学美学美術史卒。現在、京都市指定有形文化財となっている生家の維持保存のため、財団法人奈良屋記念杉本家保存会の学芸員・古文書調査研究主任に従事。植物を中心にした日本画を描いている。画号「歌羊(かよう)」。

受け継いだ京の暮らし 杦庵の「萬覚帳」

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コメント

牡丹が身近に無いので、この時期の葉の移ろいのお話し新鮮でした。少し足を伸ばせば牡丹園が有りますので、行ってみたいと思います。京の人のように「ちょっとそこまで」 真の豊かさですね。

こんばんは。牡丹も庭にあります。花は大きく豪華ですね。でも、葉は忘れられがち。家の花木は、ほとんど母が植えたものです。花だけでなく、他の部分にも目を向けていきたいと思います。こちらで取り上げられているものや、端午くんのスケッチ、奈良の鹿もいましたね・・・などが、絵葉書になったらいいなあ~なんて勝手なことを思っています。

河本さん  
 牡丹も紅葉するのとしないのとがあるようです。お近くの牡丹園の葉が色づいていると良いなー。 

彩の国hiroko さん
 まあ、うれしいことを言ってくださるのですね。そうなれば、私も嬉しい!!です。そして、励みになります。ありがとうございます。

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