脱線古事記

〈3〉「ヤマタイコク」はシャバイコク

王と大地を支える亀
イラスト・中村洋子

 『古事記』が史書か小説かの問題は、只(ただ)今のヤマタイコク論争で話をしたら解り易いのと違いまっしゃろか。
 ヤマタイコク論争で一番気に食わんのが「ヤマタイコク」どす。この名前の出どこ、何処(どこ)どす? 皆さんよう知ったはりますな。「魏書東夷伝倭人条」(以下「魏志」と省略します)。そこには「邪馬壹國」となってます。これをヤマタイコクとはどう逆立ちしても読めしまへん。それを今、誰もがヤマタイコクて言うのは何でどすにゃ。
 昔、誰かがこれを大和政権の場所にしたいと勝手に思て、「魏志」の著者が「臺」と書くべき所を「壹」と書き間違えた事にして「邪馬臺國」に改竄(ざん)し、それをヤマタイコクにしたんどす。それが素人や無うて学者やったさかい、みんな平伏してそうなってしもたんやそうどす。
 これは学問と違いまっせ。資料の恣意による改竄は証拠隠滅と同じ事どっせ。しかも、先に「魏志」の文をヤマトノクニと読みとうて資料に手を加えるちゅうのは順序が逆と違いますか。これは人をどうしても犯人にしとうて誘導尋問したり、自白を強要するのと変りおへんがな。
 確かに学問でも仮説を立てて研究を進める事がおす。キューリー夫人のラジウムの発見や、ロゼッタ石の解読がそうどした。けどこの方法は、思た結果に到り着かん時には、仮説を疑うのが学問やと思いますけど。
 もし、近畿地方の奈良県が「魏志」の言う女王の都する所ちゅう証拠が現れるとします。その場合も当時のその場所が「邪馬壹國」や無うて「邪馬臺國」て呼ばれてたちゅう事が証明されん限り、資料改竄の罪が晴れる訳や無いと思いますけどな。
 もう一つ。現在は「邪馬台国」と書きます。実は「臺」と「台」は全く別の文字どす。常用漢字で「臺」を追放したさかい「台」て書くのどっしゃろけど、これも学問としてはおかしいと思います。「邪馬臺國」は固有名詞どっしゃろが。「岡」も「藤」も常用漢字から追放されたけど「福岡」「岡山」「静岡」どうなりました? 「藤原定家」どうしました? 「台」はタイと読んだら星の名、イと読んだら「余」と同意で「われ」。元々はイの方が強いようどす。あれ? 「邪馬台国」は「邪馬壱国」に近い。
 そんな事で資料を素直に読んだら女王国は「邪馬壹国」。勿論(もちろん)当て字。当て字ならどう読むかが大変。
 若い人は知らんやろけどヨーロッパ系の国の名を昔は漢字で書いたんどす。「仏蘭西」「独逸」「伊太利」「和蘭」「英吉利」。
 「英吉利」はエイキチリと違いまっせ。これでイギリスどす。尤(もっと)も昔の日本人はエゲレスと発音してたんやけどね。
 漢字の音は、漢字が生れた時から今まで、ずっと同じやおへん。殆(ほとん)どの文字は音や訓(意味)に変化があったと思たらよろし。そやさかい「邪馬壹」も魏の時代の音で読まなあかんのどす。
 するとこれはシャバイ。女王国はシャバイコクかそれに近い名前。今もそういう名の土地を捜すなら「サバエ」か「ツバイ」。前者は近江と北陸におす。後者は三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)がたんと出土した椿井大塚山古墳のある南山城。もう一つ、今はヤバと読んでるけど文字が同じ九州の耶馬渓。「耶」と「邪」は全く同じ文字。「耶」は俗字、「邪」が正字。
 但しこういう探索も徒労かも知れまへん。もっと元の所で方法を誤ってたら……。

2010年2月22日 16:44 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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