この頃は言葉が乱れてるて一方で言われてるかと思うと、もう一方では言葉は時代と共に変わるもんで、それは乱れて言うたらあかんとも聞きます。後者の説では昔アキツて言うたもんは今はトンボとしか呼ばんちゅうのがあります。なるほど。
そのどっちになるのか知らんけど、ボクは近頃の「夢」がどうにも気になります。「夢を持とう」「夢の実現へ向って」等。
これらはどうも「青年よ、大志を抱け」の「大志」を「夢」て言うてるように思えるのどすけど、どうどすやろ。もしそうやとしたら抱くべき「大志」と「夢」とは正反対と違いますのかいな。
ボクらは「夢みたいな事言うな」「お前、夢見とるのか。一遍顔洗てこい」「夢うつつ」等と言われて育ちました。今も夢は荒唐無稽の代名詞みたいに思いますにゃが。
皆さんどうどす? ボクなんか祖母やと思てるのが何時(いつ)の間にやら嫁はんになってて、嫁はんが又何時の間にやら友達になってるような夢を見ます。京都の三条と四条の間の鴨川沿いに、迷路みたいな細い道があって、ほんまにその中の同じ所で迷うて「又迷うた」て思う夢もよう見ます。そんな細い道は現実には無いのにね。
ボクはどんな惨めな生活してでも篆刻(てんこく)だけはやるまいと思てました。それがどうしてもやらんならん破目になって、けど、やるからには人後に落ちるもんかてえらそうなことを思たもんどす。
これね、自分の一生のことやさかい「夢」に終る訳にいかんのどす。どうしても現実にせんならん。インチキも嫌どす。鴨川沿いの道ではあかんのどす。
そんな時、お客さんと話をしますとお名前に「吉」の付くお方はん、吉田、吉川、吉井、貞吉、茂吉等、お客さん毎にこの字の上半分を「俺のは士」「私は土」とこだわりがおす。これはどういうこっちゃ。
親父水野東洞に聞いても、師匠園田湖城に質(たず)ねてもさっぱり埒(らち)があきまへん。これは後にこの部分は「士」でも「土」でも無い事が解(わか)りました。楷(かい)書では「吉」が正字、「」が俗字やけども、今から2500年以上の昔なら「吉」も「」も漢字に無うて、上半分はいろんな武具の形に書かれてた事も解りました。
その他「玉」と「王」は点のあるなしで別の漢字やけれども「犬」と「太」は点の位置によって文字が変る。これはどういうこっちゃ。
篆刻をするのに、こういう一々が解らんのでは話になりまへん。当時、こういう問題を解説した本はおへなんだ。「甲骨文篇」等の資料集が中国で発行されてたくらいどした。尤(もっと)も「説文学」ちゅう古い学問はおしたけど、それを少し覗(のぞ)いて、こんな古臭い学ではあかんて思いました。
誰もやってへんのなら自分でするしかない思て、ロゼッタ石を解読したシャンポリオンに倣て、コツコツやった仕事が「古漢字典」ちゅう字書になりました。「夢」の原義は「夜に見る(もの)」どす。昼、つまり現実に見るもんやおへんのや。
『古事記』の相当部分は、本来の意味での「夢」みたいやと思いますにゃが。夢でも祖母や嫁はんは実在の人物やし、三条と四条の間ちゅう場所も現におす。けど夢は夢でしかおへん。