「大」は「おおきい」。肩に点を打ったら「いぬ」になり、股に点を打ったら「ふとい」になり、上に「一」を加えたら「テン」になる。何でや。昔なぞなぞがおした。「」と書いてどう読むか。答えは「テンで話にならん」。
こういう疑問と興味は大昔から人々が持ったようどす。後漢時代の初期(一世紀)に既に許慎ちゅう人が『説文解字』ちゅう漢字の原義の字引きを造ってます。ボクの若い頃までは「説文学」言うて、この字引きを学ぶのが古漢字の学みたいになってたもんどす。
けどこの字引き、今となっては古臭うて殆ど役に立たん言うてよろし。何でや。漢字の最古の資料は「甲骨文」言うて、牛の骨や亀の甲に刻って書いた文字です。最古ちゅう事は、漢字が出来た時の写生に一番近いちゅう事どすわな。原義解読にこんな大事な資料を許慎は全然知らんと著述してるさかいどす。
甲骨文に次ぐ資料として、我々が「殷金文」「西周金文」て呼ぶ文字がおすにゃが、彼はこれらも見てしまへなんだ。これらの資料を使うて原義の研究が本格化したのは、我国の終戦後言うてもよろし。「大」「犬」「太」「天」の違いは何やて人々が二千何百年も思いながら、想像や無うて実証をするようになってから、まだ六十年程どすにゃ。
問題はこの「六十年の実証」どす。これを学者はんだけでやってきやはったんが問題どす。
こんな事言うたら???て思うお人がたんとおいでどっしゃろな。職人風情が偉そうにてお叱り受けまっしゃろな。ボクの言うてるのはね、古い古い昔の事柄は、研究室で資料と論文だけ睨(にら)んでても実証にはならんやろうちゅう事どす。その仕事も大事やけども、それを実際にやってみてどうなるかの作業によって、初めて結論に至るやろうて思うのどす。
その実際の作業なら、学者はんよりも職人にやらした方が早いと思いますにゃけどな。第一例えば甲骨文を書いた人は、大学教授や無うて、どっちか言うたら職人みたいな人やったんと違いますやろか。
ボクの住んでる近江の野洲市に銅鐸博物館がおして、其処(そこ)に弥生の森ちゅうのが造っておす。此処で弥生時代の赤米を作ったはります。田植は貫頭衣を着てやり、稲刈りは石包丁で穂だけ刈るちゅう弥生時代の再現どす。
この石包丁が見事に実際の役に立ちますにゃ。どっちか言うと包丁よりも鎌の感じどすな。もし弥生遺跡からこの薄っぺらい石の加工物が見つかっても、こういう実証が無かったら用途の特定は出来しまへんやろ。
但しボクは、外見の再現ちゅう事ならこれでよろしやろけど、弥生時代を体験するちゅう話なら少々不満がおす。田植えの方に。
貫頭衣は結構どすけど、その中はどうなってます? パンツどすか。弥生時代が三尺やったんか六尺やつたんか知りまへんけど、パンツちゅう事おへんやろ。まさか無花果の葉やないやろし。鞘嵌めてたんどっしゃろか。
それよりも、田植えは早乙女と違うのかいな。おこしだけの乙女が植えるさかい、田の神さんがその場所見て興奮して豊作にしてくれるちゅう説もおすがな。
ま、その話はよろし。今言うてるのは、研究やら原義の解読やらはじっと座ってたらあかんちゅう事どす。甲骨文や金文をちゃんと読みたかったらケツを上げて手を使いまひょちゅう話どす。学者はんにそれが無理なら職人と手を組まはったらどうやちゅう話どす。
大変ためになります。筋の通った説明と軽妙な警句、ユーモラスな語り口に高い知性を感じて拝読しています。是非、後継者集団の育成をお願いします。