「古事記どこ行ったんや」て思たはりますか。大丈夫どす、忘れてしまへん。もうちょっとつき合うとくれやす。
「口」が器の写生か「くち」の写生かちゅう話どしたな。ボクは基本的な漢字として古うから「目」「鼻(自)」「耳」があるのに「くち」が無いのは不自然やないかとの仮説を申しました。
けど甲骨文では図のような形になってるのが多うて、器か箱の写生と思た方がええように見えます。ほな金文の古いもんはどうや。
青銅器の銘文を我々は「金文」て呼んでますにゃが、これの「口」は甲骨文と似た形もおすけども、もっと曲線的に書かれたもんやら三角状に書かれたもんがたんとあります。この違いは何や。
こういう場合、我々職人ならゴチャゴチャ理窟(くつ)言うてんと先ず書いてみます。それが一番早いし、よう判る。
ではおすが、事はそう簡単やおへん。先ず甲骨文。当時の中国で鉄はまだ使われてなんだ事になってます。青銅はあったけど、青銅の刃物では牛の骨を削(けず)るのは無理どす。ほな道具は何や。多分黒耀(よう)石か玉髄(ぎょくずい)か水晶をかち割って使ってたんどっしゃろな。そうやとしても我々職人風情にそんなもったいない事は出来しまへん。しやおへんさかいボクは鉄の道具でやってみました。
次に青銅器。銘文、つまり金文のある青銅器は多分土で原型を造って、それから鋳型を抜くちゅう造り方やと思いますが、現存の青銅器には鋳型をどうやって抜いたやろ思えるもんもおすさかい、今やったら蝋型でやるのになと思う物もおす。けど当時蝋型法がおしたんやろか。
よう判らんさかい、一応土の原型でやってみますとな、粘土の一番表面に埴土ちゅうて精泥を付けて彫ると、随分思うように文字が彫れます。刃物は半乾きなら木のもんで充分どすが、青銅製なら御の字どす。
これに比べると牛の骨に鉄の刃物の組合せは、うんと彫り難おす。まして黒耀石の破片なら、こら大変どっせ。
その上、甲骨文は目的が占いやさかい、銘文みたいに時間かけて書くのやおへんわな。こら、どっかで辛抱して、とりあえずの間に合わさんなりまへんで。
そいで「口」以外の文字で、甲骨文では直線の集合に書かれてるけど、金文では曲線で書いたあるもんを捜してみました。すると、あるわあるわ。「日」「旦」「子」「申」等。ついでに、金文で印刷で言う「なかぐろ」の点が、牛の骨では書き難いさかい甲骨文でどうなってるか調べたら、略々100%短線に書かれてます。「日」「月」「母」「丹」等。
これね、甲骨文は材料道具の制約があるさかい、ほんとはこう書きたいちゅうとこを、しょう事無しに意図に反して書いてますにゃ。ボクが当時生きてたとして、これらの仕事をやらされてもこうなりましたやろな。
となると「口」の甲骨文見て箱か器の写生やと断ずるのは、ちよっと怪しいなります。
甲骨文は漢字が生れた時に一番近い資料やて申しましたけど、その「近い」は時間としての話に限られると思いますけどな。姿としては甲骨文より後の資料の西周金文の中に、元々の写生を濃う伝えてると思える文字がたんとあると思いますけど。
古い時代を扱う時は、電気や自動車や冷暖房のある生活感覚をすっかり投げ捨てゝ、当時の人間になりきる事どす。『古事記』も例外やおへん。