脱線古事記

〈12〉君子不器

 此処(ここ)までお話してきた事で、漢字の構造やら原義の事が漠然とでも判ってもらえたと思います。それを下地にして「口」の件にもうちょっと踏み込んどきまひょか。

君子は器ならずイラスト・中村洋子

 楷書で「口」と同じ四角形に書かれてゝも、元々は「口」とは違う文字もあります。先ず「うつわ」か「くち」かの論議では、そういう紛れ込んでる他字を除外しとかなあきまへん。
 何でそんなもんが紛れ込んでるか。文字の形の変遷では、似た形のもんは統一してしまう癖があります。常用漢字では意図的にそういう事をたんとやってますわな。「「戻」異体字→戻」、「拔→抜」、「「麻」異体字→麻」、「「歴」異体字→歴」 等。
 早い話が「くにがまえ」。「口」と同じ恰好してるけど「口」やおへん。「国」は、くちの中に玉がある字でも、器の中に玉がある字でもおへん。これが小そう書かれて「邑」の上半に使われています。
 「呂」に含まれてるのは椎骨の写生。ずっと長い背骨を二箇所だけ書いたもんどす。
 「宮」に含まれてるのは四角い部屋の形。
 そういう「口」ではない異字を省いて、「口」を含んだ文字を見ていくと、「くち」に関するもんが圧倒的に多うて「うつわ」を表す文字が少い事が判ります。
 「うつわ」関係の代表が「合」どすな。この字は部品二つ。誰でも判る器の身と蓋の写生。作ってみたら一遍に解りますけど、土器でも青銅器でも骨器に至るまで、身と蓋の合口がきっちりするように作るのは、大変難しいもんどす。その意味が延伸して、時間を合す、煮加減を合す、衣類を合す等として大事な文字になりましたんやろ。
 「くち」関係は「口」をはじめ、「舌」「唇」「喉」「歯」等。「歯」は最古の形は口の中に歯並びのある写生で、今でも漫画で、イーてやる時に描かれる口の姿そのままどす。
 これが延伸して、呼吸、音声、飲食を表す文字を作ります。
 呼吸系─呼、吸、吹、吐
 音声系─言、話、叫、咆、唱
 飲食系─呑、含、味、唾、甘
(「甘」は古くは「口」の中に「・」を書く)
 口と外見の形が似たもんも「口」で書きます。一つは穴。もう一つは窓。当時の窓は壁に穴をあけただけと思たらよろし。
 穴系─去、谷
 窓系─尚、高
 更に音声系が延伸して、弁の立つ奴は賢いと思われたさかい、頭脳系が派生します。
 頭脳系─知、哲、君、吉
 「吉」とは文武両道の備わる事どす。
 かくて「くち」か「うつわ」かは数の上では「くち」系どすけど、「うつわ」が無いわけやおへん。ひょっとするとさっき申した文字の形の変化の癖で「くち」と「うつわ」別々の文字が、古い時代にごっちゃになったかも知れまへん。学問でこわいのは、どっちか一つに決めんと承知出来んちゅう意地どす。
 ところで肝心の「器」は? ヒントは「吠」「哭」どす。『論語』の「君子不器」がこの字の読み方で内容が決まりますにゃけど。
 『老子』に「谷神不死」ちゅう件(くだ)りがおす。この「谷」を「たに」と読むさかい、古来奇妙な訳がたんと見られます。これは「谷」の「口」のほんまの意味を読まへんさかいどす。この「口」は穴系どす。そして「谷」の部品数は一。
 「器」と「谷」は宿題。

2010年4月26日 10:27 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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