脱線古事記

〈15〉「命」は命令

 ほな次は「命」どすな。『日本書紀』ではこれを「尊」と書いてます。どっちも世の注釈書やら現代語訳では「みこと」と読ましてます。何でや。
 「命」は音がメイ。訓は言い付け、又はいのち。「尊」は音がソン。訓はとうとい。
 何処(どこ)からも「みこと」は出て来いしまへん。仮に意訳やとします。一つは「言い付けをする人」。もう一つは「とうとい人」。これで意味は解るけど、それが何で「みこと」どすにゃ。
 「みこと」は御言やちゅう説がおす。言い付けに御を付けたちゅう事どすか。ほな古事記の時代に「御言する人」を「みこと」と省略する習慣がおしたんやろか。もしそうやとして日本語を外国文字で書くのに何で「御言」と書かへんかったんどす?
 閑話休題。

古事記15「命は命令」イラスト・中村洋子

 「命」は部品数三。△と口と卩。このうち「口」は後に付加された部品どす。するとこの字の元々の部品数は残りの二。これは「令」どす。
 最初は命令や指令は口頭でするもんに決ってたと思います。そのうちに文字が生れ、その使用が普及してゆくと、口頭以外の指令も加わってきます。それでそれまでは「令」だけで事足りてたのに「口頭での命令」ちゅう言葉と文字が必要になります。そうして「令」に「口」を添えた新字「命」が生れたちゅう事どす。
 この「命」のようにして出来た字を「繁文」て言います。それに対して「命」の元字ちゅう意味で「令」を原字て言います。
 結局「命」の原義は「令」の原義ちゅう事どす。「令」の部品は二と申しました。上の△形は「口」の逆立ち書きどす。つまり上から下へものを言うのを象徴的に書いてます。
 「口」は「欠(あくび)」では横向きに書いて、あくびの写生にします。両手は上から引っ張り上げる時と、下から押し上げる時とで逆向きの写生にします。これは漢字の造字法の癖どす。漢字の原義を知ろうとするならば、この造字法をよく呑み込む事が大事どす。
 かくて「命」とは、上の者からの口頭による指令、命令どす。中国では、生命とは天の指令によるもんで人の力ではどうにもならんと考えて、この原義を延長して「いのち」と訓む事になりました。けど、いのちを左右する存在を指す文字にはならしまへんだ。
 太安万侶(おおのやすまろ)乃至(ないし)当時の日本人が、原義を含めてどのくらいの漢字の智識を持ってたのか知りまへんが、「命」を日本独特の「みこと」の意味で使うたちゅうのは、ちょっとおもろいこっちゃと思います。こういう日本だけの読み方を「国訓」て言います。
 但し国訓は、誤解によるもんが多いようです。例えば魚偏の文字に多いのを見たらそう思えます。有名なんは「鮎」どすな。国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」は禅の公案を絵にしたもんどすな。「なまずを瓢箪(ひょうたん)で圧(おさ)えつけるにはどうするか」で、絵にもなまずが描かれてます。「鮎」は本当は「なまず」。「あゆ」は国訓どす。
 見事な誤解による国訓が「音」と「声」。本来は「音」が「こえ」で、「声」が「おと」どす。
 何時(いつ)頃に日本人が漢字ちゅうもんに接したのか知りまへんが、その一字々々の意味を知るのに昔の人は苦労したと思いまっせ。ボクの親父は永い間ユーフォーの事を友邦やと思てました。ボクの仕事「篆刻」は永い間ワープロでは「点黒」どした。

2010年5月17日 11:53 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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