脱線古事記

〈18〉八雲立つ出雲

 『古事記』の書きぶりでボクが「何でや」て思う事の一つに、出雲の国の事がおす。天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)から伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美神命(イザナミノミコト)を経て、天照大御神(アマテラスオオミカミ)とする系譜ですんなり天孫降臨とすればえゝもんを、天照大御神に暴れ者の須佐之男命(スサノオノミコト)ちゅう弟を設定して、それを高天原から追放するちゅう事にし、更に須佐之男命が出雲に降(くだ)る。高天原では悪行であったその暴力を、八俣遠呂知(ヤマタノオロチ)を退治して足名椎(アシナヅチ)、手名椎(テナヅチ)、櫛名田比売(クシナダヒメ)の親娘の苦難を救うという善行に更(か)え、そのまゝ大国主神(オオクニヌシノミコト)まで出雲を強大な国にした。それだけや無しに、出雲国を天孫降臨にとって邪魔な国にする。何でこんなめんどくさい設定にしたんどすかいな。
八俣大蛇退治イラスト・中村洋子

 大体、『古事記』では地名の由来に関心が薄いように思いますが、出雲国も何の説明も無うて、いきなり「故所避追而降出雲國之肥(上)河上 云々」と書くだけどす。尤(もっと)も『古事記』が書かれた時には、出雲とさえ云えば「あゝあの地方か」て判ったのどっしゃろが、国の事業として歴史書を書くのなら例えば「琵琶湖は都のある大和から見れば近ツ淡海(ちかツあはうみ=おうみ)、浜名湖はそれに対し遠ツ淡海(とほツあはうみ)。だから琵琶湖のある国を近江国(おうみのくに)、浜名湖のある国を遠江国(とおとうみのくに)と言う」のような説明があってもよろしやおへんか。
 どっちにしても今の島根県の辺りを何で出雲国て言うのどっしゃろ。どうやら『古事記』はこの地方が雲が立ち登る国て言いたかったようどす。須佐之男命が櫛名田比売との新居を宮として造る時に「自其地雲立騰」と書いてます。そこで有名な「八雲立つ出雲八重垣…」の歌を作ったとあります。
 もし宮を造る時に自其地雲立騰という出来事があったさかい、その国を出雲国と名付けたちゅうのなら、須佐之男命が高天原を追放されて此地へ来た時には、此地はまだ無名だったはずどす。何か記述が前後してるか、こじつけみたいに思えますけどな。
 そこで亦(また)、出雲国の「出」と「雲」の原義をお話しまひょ。
出 「出」。これは最初図のように書いて、部品数は二。上半は楷書の「止」の先祖で、足(跡)の形。本当なら足指は五本書くべきどすけど、漢字の造字法の癖で多いもんは三つで終る例の一つどす。「木」があって「林」があって「森」がおすな。これは一本、二本、三本やおへん。「木」は「木一般」。「林」は「樹木がちょっと多い」。「森」は「樹木がうんとたくさん」。そやさかい「止」は足の恰好で「歩」「足」「18しんにょう」「発」等の部品となります。
 下半はそのとおり凹んだ所の形。これと似たもんに「弘」「18「ム」こう」等に含まれる「ム」があります。似てるさかい、よう書き間違い、読みぞこないがおす。
 「ム」は弓を引きしぼって半月形に拡げるとか、翼や腕を左右に一杯拡げるとかを表す記号どす。
雲 「雲」。例えば「雷」も古うは「雨」が付いてなんだ文字どすが、「雲」も上半の「雨」は後の時代に付加されたもんです。元々の「くも」は下半だけどす。この下半は部品数一。つまり雲の写生。それも入道雲。文字として誰にもすぐ判る写生としては入道雲が一番どっしゃろな。
 ちゅう訳で、出雲とは文字の原義に従えば、隠れてた雲が涌き出すような意味になりますが、漢文として読めば「出ずるくも」か「雲を出す」となって「雲が出る」ちゅうようには読めしまへんさかい「八雲立つ…」とはちょっと違う事になりますな。

2010年6月 7日 10:11 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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