伊邪那美命が死んで、伊邪那岐命があの世へ追いかけて行って、逃げ帰って来る途中でいきなり彼は葦原中国(あしはらなかつくに)といいます。この葦原中国と出雲国との関係がどうなってるのか説明が無いまゝ、天孫降臨の話の最初に豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)ちゅう、まるで「寿限無」みたいな国名が出現します。
やがて日子番能邇々藝命(ヒコホノニニギノミコト)に「隋命以可天降」と命ずる段では単に豊葦原水穂国なんどすな。他に『古事記』には出て来いひんけど敷島やら秋津島ちゅうのもおすな。一体この国の名前はどうなってますにゃ。
とりあえず原義ではどんな国になるか、当ってみまひょか。
「豊」。この字は部品数二。図1の(1)は連玉の写生。連玉とは、昔所有する玉や銭(貝)は紐に通してそれを何本か束ねて保管したもんで、それを言います。日本の銭緡(ぜにさし)を思い浮かべてもろたらよろし。(2)は鼓の写生。
(1)は束ねたり連ねたりするとこから、友、群、対等の意味になります。例えば「朋輩」。「豊」では群の意味で使われてゝ、(2)と合字となって賑やかな演奏を表します。
今、楷書で(1)を書く時、「月」を並べて書きますが、そんな漢字は元々おへん。月型の中の短い横画は、正しくは点二つに書くもんです。ボクらは学校で点二つで教わりました。
次に「葦」。これは部品数五どすが、此処では「艸」と「韋」の合字て言うた方がよう判りまっしゃろ。つまり草であってイて呼ばれるもん。それが「あし」ちゅう事どす。
こういう造字を学の世界では「形声」て言うのどすが、要するに意符と音符で構成されてる文字の事どす。音符が振仮名の役をしてると思たらよろし。クサカンムリの字にもたんとおすけども、他に魚偏、鳥偏、木偏の文字にもたんとおす。
そやさかい「葦」の場合には「韋」には意味上の関わりはおへんにゃ。
次に「原」。部品数四。「厂」は崖の写生。他の三つは「泉」。崖下に泉の涌く意。つまり「源」の原字。
「泉」は部品三。図2の(4)が泉の形の写生。(5)は前に「旦」等で申した涌発の指事符。此処では水が涌く。(6)は移動の指事符。此処では涌いた水が流れ出す。
何でそれが「はら」なんや。本来「はら」の意の漢字は図1の(3)のように書きます。どうどす、こんにやゝこしい字を一々書いてられますか。そういう場合には同じ音を持つ、もっと書き易い字で代用します。その代用された字が「原」どすにゃ。こういうのを学では「仮借(かしゃ)」て言います。
仮借が広まると軒先貸して母屋を取られるで「原」は専ら「はら」として使われます。すると「みなもと」を書き表すのに困りますな。そこでサンズイヘンを加えた新字「源」が生まれるちゅう訳どす。この場合「原」を原字、「源」を繁文て言います。
この例はたんとありますが、「ひのくれ」も原字は「莫」。これが打ち消しに使われだしたんでも一つ「日」を加えて繁文「暮」が出来ました。
以下の文字は次回に。