何で棍棒を持つのが「ちゝ」なんや、ちゅうのはよう判りまへん。それは棍棒状の品物が具体的に何なのか、文字面では特定出来ひんさかいどす。いずれ新たな資料が出現したら解明されるかも知れまへんが、今のところは解らんもんは解らんとするのが学問やと思います。
但し「布」では砧(きぬた)どす。「布」は「巾」に対しての布やさかいどす。織ったまゝで架垂の形のもんを「巾」ちゅうのどす。それに砧を打ったもんが「布」どす。「はゞ」の本字は「幅」どす。「はゞ」の意で「巾」を使うのは日本だけの習慣で、こういうのを国訓て言うのどす。第一「巾」はキン、「幅」はフク。中国人がこんな省略をしますかいな。
となると「ちゝ」に「父」を使うのは仮借(かしゃ)ちゅう事になるのやけど、今は未解明て申しときまっさ。
ついでにね、手拭、ふきん、三角巾の類が巾どっせ。布ちゅうのは、べゞにする織物どす。ふきんに「布巾」ちゅう字を当てるのも漢語や無うて、日本だけの書き方どす。多分「ふききれ」を「ふっきん」と訛って誰か横町の御隠居が「布巾」と当てたんと違いますか。ボクらの若い頃までは「ふっきん」が普通どした。
次に「流」。部品数は五。但し古くは「」だけ※(2)やったさかい、その時は部品数一。(2)は生子(うぶこ)の写生。子どもは頭を下にして生れてくるさかい「子」の逆形に書きますにゃ。それに破水の形を加えて(3)のように書く文字に発展しました。その状態から、この字を「ながれる」と読むようになると、やがてお産から離れて川の流れにもこの字を使うと、更に「水」を加えて「流」となったんどす。
謂わば「流」は「」の繁文の繁文どす。そして「」に「月(にくづき)」を加えて「育」も出来ました。生子をだんだん肉体的に完全な姿に「そだてる」のどす。
「流」はまだまだ発展し引伸して「流浪」「流れ者」「歴史の流れ」「○○家の流れを汲む」「水野流」等の意味を担います。この字、どこまで流れて行くのどっしゃろな。
前述のとおりボクは「久士布流多気」はステレンキョウやと思てます。よしんば『古事記』の書かれた時にクジフルタケが実在したとしても、其処へ天孫が降臨した事自体が荒唐無稽なんやさかい、そんなもんを今の高千穂峰や、西都原や高千穂峡やて言うのは、只の歴史ごっこやと思います。
歴史や考古学はつい我々の関心を呼び興味を惹くもんどっさかい、みんないろいろの想像をします。それはそれで楽しんだらえゝと思います。芝居の筋を貫一お宮のように実在やと思うのも一つの慰みどっしゃろ。きっと役者はんが上手いのどす。
けど学問は想像ではあきまへん。証明どす。ボクの専門分野の印章篆刻や古漢字の事でも研究室の中で資料をひねくり回すのが学問やと心得る向きが多おすにゃ。どうやって当の印章を作ったのか、どんな書写道具でその字を書いたんか、現場の証明が大事どすにゃけどな。