名そのままに霜の降りる月です。前月は稔りの豊かさの月、この月は晩秋。来る冬を前に、一気に紅葉に生命を尽くし、一転して侘びの景色に移ります。新古今和歌集、三夕の歌が心に添うて、しみじみと感じられる月です。
ちなみに「三夕の歌」とは、新古今和歌集所収の「秋の夕暮れ」を結びとした有名な和歌三首。
寂蓮法師
心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ澤の秋の夕ぐれ西行法師
見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ藤原定家
お菓子の世界も豊かな新物の素材に恵まれ、絢爛豪華から極侘の果てまで幅広いテーマで造られます。きんとんでは「秋の野」、「薄紅葉」、「木ノ間の錦」、「初霜」。こなしでは「梢の錦」、「錦木」。こなしの定番のお菓子「山道」の彩りを変えて、「山端」、「紅葉山」、「名残りの錦」。漉し餡を使ったこなしで栗の餡を包んで三角に伸して「苫屋」。ういろうを伸して重ねて、襲(かさね)の色目を造って「立田姫」、「紅葉の賀」。村雨では「残りの錦」。薯蕷では「光琳の菊」。お餅では、粒餡を包んで背に一筋焼印を入れて「奥山」、鹿の背中になっています。
この季節は各地で抹茶、煎茶を問わず茶筵が展べられることも多く、私どももお水屋の隅でお菓子盛のお手伝いをさせていただくこともあり、仕事とお茶の勉強と紅葉狩りが同時に楽しめる、願ってもない機会になります。
残りの錦
奥山 ふり返ってみますと、最初にお手伝いに参りましたのは、小学校2年の折、南禅寺塔頭でのお茶会でした。さる流儀の全国大会で、開炉の時でしたので、祖父とともに善哉(ぜんざい)を盛り付け、餅を焼くのを手伝いました。何せ子どものことですから、お水屋の皆様方に「上手に焼けた」「ちょっと焦げて、香ばしい」などと誉めていただくのと、お水屋見舞いのお菓子や果物を持たせて下さるのが嬉しく、終日飽きることもなく、小さく切った角餅を焼いておりました。尤(もっと)も、朝一番祖父が炭火を熾(おこ)している間に、自在を振り回して、貼り替えられたばかりの障子に小さな穴を開けてしまいましたが、誰方(どなた)にも気づかれずにすみました。
あれから数十年、良師に恵まれ、お稽古を致しましたが、禅宗で薫習(くんじゅう)と云われるように、何とはなしにお茶の世界に添わせていただくことで自然と身につくことどもがお菓子造りの上で生きていると思われます。器とお菓子、盛り方、いろんなお道具の扱い、席のしつらひと、大寄せの折等の席の新め方。耳を傾けますと、飛び交うお話の中にも、いっぱい参考になることが多く、さながらお水屋大学と言うところでしょうか。
こんなこともありました。こなしの山道のご注文で、「紅葉色と黄色、氷餅を散らして」とのご指定で、「霜の朝」と伝票に書いてお届けしましたが、ふと待合の会記に目を留めますと、「菓子『杣路の朝』」とありました。こんな経験を繰り返しつつ、お茶に合う、出過ぎないお菓子に近づいていきます。そして何よりも和歌、能、狂言、お花等に心がけて親しむこともお菓子屋修行のひとつになります。
来月は師走、御題菓子や迎春用の干支菓子の事などお話しいたしましょう。
今日、初めて「ライトハウス祭」に夫婦で行ってきました。ご近所のK
さんが「茶会」に来てほしい誘っていただいていたからです。
抹茶の前に出てくるホロ甘い茶菓子をまず、いただきました。苦い筈の抹茶が美味しく飲めました。
これからの季節は、「茶菓子」の季節です。たっぷり楽しみたいです。