同じく寒気の中に凛然と咲く花、梅があります。寒気を冒して開く百花の魁(さきがけ)、平安時代以前には「花」と言えば桜ではなく梅の事だったとか。お菓子の世界では主菓子、干菓子を問わず数多くの意匠で作られています。
「此の花きんとん」は〔難波津に咲くや木の花冬ごもり 今を春べと咲くや木の花〕という古今序の歌から取った銘です。きんとんを真ん中から紅白の振分にした物で、白はねりきりを毛通しで細かいそぼろにしたのをふうわりと付けます。
「木の花」は梅の花の雅称。謡曲の「弱法師(よろぼし)」にも出てきます。難波の四天王寺が舞台。弱法師(盲目)の物ごい・俊徳丸と故あって俊徳丸を捨てた父親との再会と和解を描いた作品で、父との出会いの場面で梅の花が息子の袖にかかり「憂たてやな難波津の花ならばただ木の花とこそ仰るべきに…」とはらはらと花が散る場面です。
14日はバレンタインデー。和風に「懸想餅(けそうもち)」と命名しました。懸想文は昔の恋文です。江戸時代、正月に、京都では懸想文売りが売り歩いたというお札もあるそうです。恋文に似せて縁起を祝う文が書いてあり、これを買うと良縁が得られるとされたそうです。白餡を餅で包み、ココアパウダーをかけてみました。甘さを押さえた餡の味の後に、ココアの香りが立ちます。
「咲き分け」は1つの根から幹が2つに分かれて色の違う花が咲いた木で、梅では「源平咲き分け梅」が二条城にあります。共に生き、共に育つことを意味するそうです。こなし生地で抑えたピンクと白で染め分けました。中はこし餡です。
意匠も様々な2月の和菓子をお楽しみください。
和菓子の包装紙
和菓子屋さんの包み紙はなかなか捨てられません。デザインや色合い、紙などにこだわりがあり、ついつい溜まってしまいます。実は有名な日本画家や版画家が描いた包装紙も沢山あります。
甘泉堂のかけ紙は京都とも御縁の深い冨岡鉄斎(1836~1924)が描いたカラフルな四君子、末富の包み紙は池田遥邨(1895~1988)で、「末富ブルー」が独特です。笹屋守栄の包み紙は堂本印象(1891~1975)ののびやかな水彩画。二条若狭屋さんは徳力富吉郎(1902~2000)の版画で初代と懇意だったことから書かれたとか。亀屋良永の煎餅缶のラベルは棟方志功(1903~1975)、たち吉の手提げ袋も棟方で、京都の歳時記が彫られています。
包み紙だけでなく、お菓子を入れる箱、掛紙、紙テープの紐、又生菓子以外の銘菓物では包装(個別の)や口上書、掛紙にも、そのお菓子だけの意匠を凝らした物が見られます。能の披きや、踊の会等、特別のご注文の折には箱から、掛紙、包装紙まで誂える事もあります。京都にはその様な注文を受けてくれる箱屋さん、印刷屋さん等が今もあります。