お菓子で巡る趣味の周辺

〈4〉“ざんぐり”した茶方の菓子

 毎日三時になると祖父が台所でお茶を点(た)てます。お茶菓子は店の品物の事もありましたが、いただいた物や、誰かが目にとめて買って帰った物が多かったように思います。
 祖父は武者小路千家のお茶を習っていました。お稽古のはじめは十八歳、ご近所の表千家の先生だったそうです。先生が亡くなられて、何故か誰かご紹介くださる方がいらして武者小路千家官休庵へ伺うようになり、爾来五十有余年お茶に親しむ生活でした。三時のお茶、夜更け私の部屋でお盆に道具を載せて来て一服、旅先でも茶籠に小ぶりの茶碗や棗等を仕組み、土地の甘味で一服、仕事がらみでと言うより、お茶が好きだったんだと思います。お煎茶は玉川遠州流、大森宗晋宗匠の若王子のお宅へお稽古に上がっておりました。

きんとん「都の錦」

花びらを模した「ひとひら」

伸したういろうで蝶をかたどった「花の友」

 例の如く夜の一服の折、煎茶器を出してきて茶葉を入れ、「このお茶は玉露やさかい、お菓子がいりまへんにゃ」と言い、舐(なめ)るようにして玉露を啜りました。真似て啜ってみると、とろりとした甘味が感じられ、菓子の要らないお茶に変に感心した憶えがあります。お菓子屋の立場上、自分でお釜を懸けることはありませんでしたが、お招(よ)ばれは至ってまめに出掛けておりました。休日の場合は私もお相伴で随(つ)いて行き、各所の名席に座らせていただいたり、さまざまな名品を祖父の傍から拝見させていただいた事は、私の良い思い出、財産になっています。

 私の稽古始めは少し遅めで、二十一歳の折、二男に生まれていますので、ご近所におられたK先生のお稽古場へ上がりました。裏千家でした。男性の社中も多くおられ、仕事の都合で遅い時間のお稽古で顔を合わせる事も多く、お稽古の合間や先生のお宅を出ましてからもお手前の話、お道具の話等々議論を戦わせる事でついつい時を過ごしてしまったものでしたが、そんな事があればこそお稽古が続けられたと思っています。
 そんな遅いお稽古の折、私のお手前で先生が、東北地方の飴菓子を一つ口にされ、「お茶一服よばれる甘さどすな」と言われました。その飴の味は私の尺度の一つになっています。お菓子のご注文の折は勿論ですが、ふと口にされた事で大事な事をお教えいただく事も多く、むしろそちらの方が心に残っています。こんな事もありました。仁和寺の遼廓亭でのお茶会の折、お水屋へ向かう途次、ふと立ち止まられた先生、壁に目をやられ「よう寂(さ)びてますなあ」と一言。

 僭越かもしれませんが、私どものお菓子は〔茶方〕のお菓子と思っています。〔茶方〕のお菓子とそれ以外のお菓子、どこが違うと言えば、二つ並べてみれば一目瞭然です。菓銘、形、色づかい、はっきり違います。お茶のお菓子なのです。

のどかな菜花畑を表現した「菜種巻」

春の陽射しの透明感「春陽」

 例えばお抹茶、お茶事の中でのお菓子は、懐石料理が了(おわ)って、中立の前に縁高と呼ばれる塗り物を何段か重ねた中に入ってきます。お正客の分は一個だけ入っています。とても目立ちます。お茶事のテーマに沿ったお菓子、主役ではありません。飽くまで脇役なのですが、お茶の前に出されるだけに、お菓子が何かを語ってしまいます。お席には風炉か炉に釜、水指、棚もあるかも知れませんが、中立後の相とは違います。そんな中でお菓子はお客様に話しかけます。でも出過ぎてはいけない、その兼ね合いが非常に難しい。その為に何度も何度も試作を重ねます。そんな事を何十年、お店によっては何代にも続けて来られて分かる機微(きび)があります。

 それでは〔茶方〕のお菓子の特徴は?と聞かれますと、一言で言えば「ざんぐりとした」という事でした。例えば桜をテーマに造る場合、形、色ともに桜をそのまま写したのでは〔茶方〕のお菓子にはなりません。まずはお床の掛物はじめお道具の取合せをお聞かせいただいて、重なるような菓銘、形、色は出来るだけ避けます。大寄せのお茶会の折には食籠(じきろう)とか菓子鉢も拝見します。お茶器によっては盛り難い物、交趾(こうち)など色を合わせ難い物、そんな事全てを頭に入れてお菓子を考え始めます。制約のもとで凝縮することで美を創り出してきた和歌や俳句等の世界に通じる点があります。今まだ自分が創ってきたお菓子、昔から伝わる定番のお菓子、どれを見てもスキの無い完璧な姿形ではなく、悪く言えば少し泥臭い、見てほっとするような、気が抜けるような、そんなお菓子がほとんどです。それでいてジグソーパズルの最後の一枚のような大切な役割を担っています。今度お茶の席に座られることがありましたら、少しだけお菓子にも注目していただけると嬉しく思います。

「相変わりませず」のお干菓子

亀屋伊織の仕事 茶席用の干菓子といえば「伊織」さん、と言われます。ざんぐりした姿形、季節の色、やさしい甘さが大寄せの席で話題にのぼります。18代目となる山田和市さん(39)はこのほど、12カ月の菓子ごよみをエッセイとともに表わした「亀屋伊織の仕事」を上梓しました。
 干菓子には、有平糖(ありへいとう)、押物(おしもの)、洲浜(すはま)、煎餅(せんべい)、生砂糖(きざとう)などの種類があり、それぞれ季節ごとに変わる菓子の名前や形、材料と作り方が紹介されています。本の中でよく出て来る言葉が「作りすぎず」「主張しない」「相変わりませず」。家族だけで代々守って来た「伊織」の精神が伝わってきます。
 驚かされるのは京都の老舗の奥深さです。画家の今尾景年(いまおけいねん)、歌人で高浜虚子に師事し、京大三高俳句会を結成した鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)は親戚、太田垣連月が晩年を過ごした神光院も親戚…。何気なく飾られている掛け軸も気になって仕方ありません。何しろ当代も俳句結社「銀化」に入り、中学から片山清司さんに謡を習っているという兵(つわもの)。芸事もすべて仕事の“肥やし”です。
 カラーの菓子の色が何とも柔らかく、ため息が出ます。そして、口ほどけのよいあの干菓子に魅せられるのは私だけでしょうか?

2011年3月31日 19:07 |コメント0
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甘楽花子(かんらくはなご)
京菓子司の家に生まれ、2003年独立開業。兄が4代目を継ぐ実家では、主に茶道用生菓子を製造しており、生まれながらのお菓子屋と自分では思っています。趣味は多岐に渉りますが、茶道は裏千家、茶名は宗豪、準教授です。

Shop:京都市中京区烏丸丸太町下ル大倉町206オクムラビル1F TEL075・222・0080 →map

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