紅葉も程なく散る頃となる師走、丁度南座では歳末恒例の顔見世興行が始まり、幕間や昼夜の入替の折等、観劇にみえた着飾った女性たちで表の四条通の通行が妨げられるほどの盛況となっています。この一年間、趣味とお菓子のお話をして参りました。南座ではありませんが、今月で幕と云うことで、手締めならぬ〆のお話を。
和歌、俳句、茶道、華道、能・狂言、芝居、美術等々。「食」もまた「食文化」と言われ、お菓子はその一部です。先に挙げた様々な諸文化を吸収し意匠とし、お菓子の味、姿、彩で表現すると云う点に、京都のお菓子が和菓子の中でも独自の位置を占める理由があります。
“食べる”という、生きてゆく上での基本的な行為、何の理由(わけ)もない、必要だから食べる、必然的な行為の対象としての食品─中でもお菓子─が、ここ京都では人間の生活の発展につれて、同様に成長してきた他の文化と結びついて長日月をかけて独特の世界を創り上げて来ました。
平安朝以来の「都」としての京の町があり、そこに集約、蓄積されてきた文化、富、権力を基盤とし、地理的に良質の原材料を産する丹波、近江の間に位置していた事と相俟って、京菓子は文化の精華として発展してきました。御所を中心とした公家文化のみならず、町衆が育んできた町衆文化双方が現代に続く京菓子の消費者であり、良きアドバイザーとして大きな影響を与えてきました。そんな環境の中で育まれ、「食べる」という行為は、今や単に身体を養うに終わらず、心の糧となる滋養を頂く行為でもあるのです。
現代の我われの生活の周辺で言いますと、趣味と云う言葉でよろしいかと思われますが、和歌、茶道、謡等々を日々の生活の中で趣味として取り入れ、生活に潤いをもたらす、そんな生き方、暮らし方のお客様に支えられつつ、お菓子屋も日々勉強の毎日です。
「食」という生きるために必要不可欠の営みにも、そこに味わう楽しみ、見る楽しみ、聞く楽しみ、更に総合的に意匠について思いを巡らせる楽しみがあります。そんな事を楽しむ心のゆとりが日々の暮らしを豊かにしてくれる事と思います。
今月のお菓子は、来年の干支にちなんだ「龍の玉」と御題「岸」に因んだ「岸辺の春」です。「龍の玉」は、能の『海士』から思いついたのですが、この曲では龍は悪役になっています。そこで他にも調べてみますと、美術の分野では絵画、彫刻などに宝珠を掴む龍の図柄が数多く見られます。新春用ですので、宝珠はきれいで温かさを感じるピンク色、爪は皇帝の色で黄色にしました。本来なら五本爪が本当なのでしょうが、小さな餡玉を掴むには五本は多すぎますので、三本に造りました。
「岸辺の春」は村雨とカルカン製です。東日本大震災で大きな被害を受けられた皆様、特に海岸、川岸等、甚大な物的被害を被られた地域が「春」を感じられるほどの再起を遂げられます日が一日も早からん事を願って、この菓銘に致しました。言うまでもない事ですが、亡くなられた方、また行方不明の方々には追悼の意と共に彼岸で安らかな春をお迎えになられますよう祈念致しております。