京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

【コラム】源氏物語「薄雲」の人形の記載

薄雲 前回紹介しました「須磨」の巻では、上巳の日にヒトガタを流して禊ぎ祓えを執り行いましたが、その矢先に恐ろしい嵐が須磨一帯を襲い、源氏たちは恐怖におののいていました。
 嵐はいつまでも収まらず、次の「明石」の巻では、源氏の館が落雷による火事に見舞われたり、高潮に襲われたりしましたので、源氏も供人も住吉の神に祈ります。十日以上も荒れ狂った嵐がやっと静まった夜、源氏は夢の中の導きに従い、明石へと移ることを決意し、そこで明石の入道の娘である明石の君と出会いました。
 その後、帝に許されて都へ戻ることになった源氏ですが、そのころ既に明石の君は源氏の子を身ごもっており、別れを嘆く明石の君にいつか必ず都へ迎えることを約束して別れました。
 「薄雲」の巻では、帰京後に建築した二条院に明石の君を住まわせようとするところから始まります。
 再三の求めにもかかわらず明石の君は従わなかったため、その姫君を紫の上の養女として引き取ることになりました。源氏が明石の姫君を迎えるために大井を訪ねた際、姫君は無邪気に車に乗ることを急ぐので、明石の君は姫君を抱いて車の寄せてあるところに行きました。 乳母の少将とて、あてやかなる人ばかり、御佩刀、天児やうの物取りて乗る        乳母の少将という気品のある女房だけが、御佩刀(みはかし)と天児(あまがつ)のような物を持って車に乗りました。御佩刀とは貴人の持つ刀のことで、天児は以前に紹介しましたが、幼児の守りとして枕元に置くカタシロの人形です。これらを明石の姫君の魔除けとして車の中に持って入り、姫君の安全祈願としたのです。
 二条院ではさっそく姫君の袴着の儀式が行われました。 御袴着は、何ばかりわざと思しいそぐことはなけれど、けしきことなり        姫君の袴着のお祝いは、特に趣向を凝らして準備したというわけではなかったけれど、その儀式は格別でありました。それは将来后になると占われた姫君を紫の上の養女として世間にお披露目する目的もあったためです。 御しつらひ、雛遊びの心地してをかしう見ゆ       儀式のために用意された調度品などは、すべて小さく作られていて、ママゴト遊びの道具のように可愛らしく見えたようです。
  この儀式は幼児の成長を祝い、はじめて袴を着ける儀式で、『源氏物語』の中では「桐壺」の巻で光源氏、「薄雲」の巻で明石の姫君が共に三歳のときに行われています。
 袴着は現代の七五三の原型となった通過儀礼の一つであり、生まれた子供が大人へと一歩一歩近づいていくのを見守り、さらなる成長を祈ることは、いつの時代でも親の最大の願いなのでしょう。    

写真:『源氏物語』「薄雲」の挿図  宝鏡寺門跡所蔵