宝鏡寺門跡は人形の寺として親しまれるようになって今年で50年になります。その間に供養としてではなくお寺に納めたいといって持ってこられた人形も多数ありました。その中から技術的、文化的にも残すべき名品に限り、大切に収蔵し春秋の人形展で公開しています。その一つに明治時代に制作された大きな枠御殿雛があります。
今から30年ほど前、京都市内の加藤家から明治27年2月に新調された古い雛があり、家で飾ることも出来ないので納めたいがどうだろうかと問い合わせがありました。そこで当時の人形展運営委員会の委員たちで調査に伺い、出会ったのがこの雛のセットとなります。見てすぐに貴重なものだと判断できましたので、お寺に納められました。
一畳ほどもある源氏枠の御殿は、組み立てるのに何人もの人が必要で、しかも組み立て手順を間違うと組み立てられない精巧な作りとなっています。人形も十七体あり、道具類も多数揃い制作当時相当な金額であったと想像できます。またすべて飾ると四畳ほどの広さが必要で、なかなか普通のお宅では飾ることの出来ない程立派な雛です。
制作は、当時京都の四条通堺町北東角に店を構えていた御雛人形細工司丸屋大木平蔵になります。この店は屋号を「丸平」といい、明和年間より続く老舗で代々大木平蔵を襲名しています。明治23年には内国勧業博覧会で受賞もしている名店です。この受賞が三代目の時で、代表的なものとして兵庫県芦屋市のヨドコウ迎賓館の雛をあげることができます。館の建築主である山邑太左衛門が長女雛子の誕生を祝って作ったもので、大型の雛のセットと、珍しい明治天皇をイメージして作られた礼服姿の雛もあります。宝鏡寺所蔵の雛もヨドコウのものとよく似ており、同じく三代目の制作となります。五人囃子ではなく五人官女で雅楽を演奏している珍しい特徴もあり、京都らしい雰囲気を持っています。
雛も含む京人形は、頭、髪付、手足、小道具、着付など、その製作工程が細かく分業化されていて、それぞれが熟練した職人たちの手仕事によって制作されています。三代目丸平の雛で上質のものには、十一世面庄の頭をよく使っていました。面庄は、享保頃から続く人形師の家系でもともと能面師であったことから面屋と名乗って雛の頭を作ったとされています。この十一世は御所の御用による内裏雛の頭をよく制作していたといわれています。十二世は放下鉾の稚児人形、十三世は五条大橋の牛若・弁慶の石像などを手掛けていて、現在は岡本潤三氏が十四世面庄を襲名し、人形作家として代々の家の技を守っています。