京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

橋弁慶山の牛若丸と弁慶

橋弁慶山 祇園祭は八坂神社のお祭りです。歴史も古く、祭事が一ヶ月にも及ぶ大規模なものであり、しかも飾り付けなども豪華なお祭りとして知られています。大阪の天神祭、東京神田の神田祭とともに、日本三大祭りのひとつにあげられています。約千百年前に、疫病退散を祈願するため、日本全国の国の数にあわせて鉾を六十六本作らせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行ったのが始まりだといわれています。
  橋弁慶山は、この祇園祭の山の一つで、牛若丸と弁慶が五条大橋の上で戦う謡曲「橋弁慶」を題材としています。古来より山では唯一くじ取らずで、後祭の先頭を巡行していましたが、明治5(1872)年に北観音山が復興されたため、編成上の理由で次の二番目に巡行することになりました。またくじ改めの際には、奉行の前で山をまわさない特別扱いされた山です。
  牛若丸は黒漆塗の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に片足で立ち右手に太刀を持っています。対して弁慶は鎧姿で大長刀を斜めにかまえています。
  牛若丸・弁慶とも永禄6(1563)年大仏師康運(こううん)作の銘があります。また牛若丸の足の鉄串には、天文丁酉(1537)右近信国の銘があります。
  牛若丸には盛光(もりみつ)・伊賀守金道または近江守久道の作と伝えられる太刀があり、弁慶には重要有形文化財に指定されている室町期の黒韋威肩白胴丸(くろかわおどしかたじろどうまる)があります。現在は京都国立博物館に収蔵されています。
 この山は山籠も真松もない古式の形式を伝えていること、八方正面になっていて芸裏がどこにもないという見所があります。
 また牛若丸と弁慶像は、時代と制作者が特定できること、足駄の前歯だけで人形を支える躍動感を伝える技術などから人形界屈指の名品だといえます。祇園祭へお越しの際にはぜひ人形にも注目して下さい。

写真:財団法人 橋弁慶山保存会提供(那須明夫氏撮影)