鉾頭には三日月が輝き、かえる股には月の化身である兎(うさぎ)がいる。左甚五郎作と伝えられ、金色に輝く波間に跳ねる兎は、鉾の前面では口を閉じ、後面では口を開けた勇ましい姿をしている。また月と対をなす太陽の化身として、三本足の烏である八咫烏(やたがらす)が屋根部分に飾られている。
真木の中程の天王座には、右手に櫂(かい)を持ち、月を仰ぐ姿で船に乗っている月読尊(つくよみのみこと)が祀られている。
江戸時代後期の文化文政頃に工芸装飾の充実をはかり、左甚五郎作と伝えられる兎の彫刻や、円山応挙の屋根裏絵画、天井の源氏物語五十四帖扇面散図だけでなく飾り金具類にいたるまで豪華に飾られ、まさに動く美術館として注目されている。
これら豪華な装飾品だけでなく稚児人形も有名な人形師により制作されたものである。もともとは長刀鉾と同様に明治44(1911)年まで生き稚児が乗っていたが、45年からは当時活躍していた三世伊東久重に依頼し制作された人形が、巡行に参加するようになった。名前を「於菟麿(おとまろ)」といい、生き稚児の代わりということなので同じく振袖の長い稚児の装束に身を包み、鞨鼓(かっこ)を下げている。モデルは最後の生き稚児と伝えられている。身長は130センチほどあり、子供の背丈に合わせてある。宵山までは金色の烏帽子を被り、巡行の際には孔雀をあしらった豪華な金の天冠を被っている。これは宵山までは社参の際などでは金の烏帽子を被ること、巡行時に鉾上では「太平の舞」を舞うが、天冠を被ることなどを考証してのことで、写実的な顔形だけではなく生き稚児の姿を忠実に再現している。
昭和60(1985)年に痛みが激しくなったため、顔や衣装や飾り物などが修復されている。胡粉で白塗りされた顔は子供らしさとともに神聖さをも兼ね備え、不思議な魅力を現在まで伝えています。
鉾の懸想品が豪華すぎてなかなか稚児人形にまで注目されないが、実は女性から人気の高いイケメンの於菟麿さんである。