顔見世昼の部(一)

*

 「将軍江戸を去る」は真山青果の歴史劇である。徳川慶喜の人間性を客観的にとらえた名作だが、関西での受けは必ずしもよくない。真山劇の特徴である漢文調の台詞は、耳で聴いただけでは理解し辛く、ここ一番の台詞でも、はたして観客の心に届いているかどうかもどかしさが残る。
 けれど脇役は手堅く、梅玉の気品と我當の一本気、さらには秀太郎の沈着さがあいまって、凝縮された舞台となっていた。寛永寺山内を廻る金棒の音や、テッペンカケタカの時鳥の啼声はいつものやり方だが、幕開きの鴉の録音は異質。それならホトトギスも本物のほうがよかったかといえば、そうではない。作り物を、いかに真物にみせるか。そこに役者の腕があり、芝居の面白さがある。
 「勧進帳」は初めから終いまで、幸四郎の顔で押し切ったひと幕だった。台詞は音吐朗々として、歌舞伎版のミュージカルを見る如く、これはこれで結構な出し物である。ただこの日で九百四十一回目という上演のせいか狎れが目立ち、それが弁慶の品位を落としている。杯を指差し「小さい」と言い放つところ、また下司下郎ならともかく、あの酒の呑み方は卑し過ぎる。愛嬌と媚は違うものであるはずだ。
 藤十郎の義経は、当代一の風格が光る。判官御手の位取りに感服した。錦之助の富樫は行儀はよいものの声がかすれ、習作の域を出ていない。鎧袖一触、老巧な弁慶にねじ伏せられたと見えた。本来、男三人の命懸けの芝居であるべきはずが、富樫の弱さでバランスを欠いたのは残念である。
 今まで数多くの勧進帳を見てきた。忘れがたいのは昭和五十六年一月の中座、当時片岡孝夫(現仁左衛門)の弁慶である。富樫は実川延若、義経は中村扇雀(現坂田藤十郎)だった。あれに優るものは未だにない。

*
07/12/18│歌舞伎のツボ│コメント0

コメントを投稿

コメントは、京都民報Web編集局が承認するまで表示されません。
承認作業は平日の10時から18時の営業時間帯に行います。


メールアドレスは公開されません