顔見世夜の部(一)

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 夜の部は「石切梶原」から始まる。いつもは敵役の梶原景時が、主役をつとめる珍しい狂言。ちなみに「すし屋」にも登場しているのをご存じだろうか。
 幸四郎の梶原は押し出しも立派で、唐草に並矢(ならびや)模様の裃(かみしも)がよくうつる。「雲なき夜半(よわ)の月の影」からの刀の目利きにも芸の細かさがみえた。石の手水鉢を切る形も芸容が大きい我當(がとう)の大庭(おおば)は危なげなく立敵(たちかたき)を好演。愛之助の俣野(またの)はせりふ廻しに線の太さが欲しい。大名に亀鶴(きかく)、薪車(しんしゃ)が並ぶのも顔見世ならではの御馳走である。
 錦吾の六郎太夫は丸本味(ほんみ)が色濃く、高麗(こま)蔵の梢(こずえ)とともによい出来映え。六郎太夫の「帷子(かたびら)ケ辻に住まう」という台詞は京都に住むものとしてはオヤと思う。ここは確か鎌倉鶴岡八幡宮だが、同名は昔もあったはず。家橘(かきつ)の呑(のみ)助は、酒づくしをはめ込んだ洒落ゼリフを聞かせる。そのわりには受けが少ないのは残念。もっと拍手があってしかるべきだろう。
 去年も出た「対面」は、劇中に錦之助の襲名口上がある。初春の香り漂う贅沢さがほしいのだが、富十郎の工藤に精彩なく、それに引きずられてか、肝腎要の五郎がいまひとつ面白さに欠ける。役者の持ち味だけで見せるものだから、荒事(あらごと)の基本が出来ていないと出し殻同然。花道の出は勢いがあるものの、鶯(うぐいす)の啼(な)く如く一息にといわれる「今日は如何(いか)なる吉日にて」も発声が苦しい。荒事の象徴である肘も下がり気味。大見得はすぱっと股を割って、きびきびした躍動感をみせてほしい。
 時蔵の舞鶴にかえって緊張感があるのは、弟を盛り立てようという気合からか。また立派なのは、秀太郎の大磯の虎だった。味わい濃く中身がある。ついでながら、高合引(あいびき)の緋縮緬(ひぢりめん)の小蒲団(こぶとん)はいかにも風情がある。このあたりが歌舞伎の楽しいところ。

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07/12/19│歌舞伎のツボ│コメント1

コメント

春香さんの歌舞伎開眼は、お舅さまによる、とのこと。春香さんの歌舞伎評の目のつけどころ、さすが、と。おつれあいさまの絵とあいまって、これまた、いい世界、ですねエ~。応援しております。

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