顔見世夜の部(二)

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 「京鹿子娘道成寺」は坂田藤十郎の喜寿記念の演目である。道行はカットされたが、花子(はなご)の芸格の大きさ、みずみずしさ、ともに特筆に値する。金冠をつけているときの息の詰め方、キマリの美しさに目をみはった。クドキに怨念の色は薄く、手踊りや鞠(まり)唄を派手に踊り込むところなどは、むしろ曲を離れて自在の境地に達しているとみえた。
 「河内山(こうちやま)」は黙阿弥の晩年の名作である。仁左衛門の河内山は、まず質見世の出から快い台詞を聞かせる。歌舞伎には一声、二顔、三姿という言葉がある。仁左衛門は、その三拍子揃った役者ぶりが魅力的である。
 番頭とのやりとりも、その活殺(いけごろし)の効いた口跡(こうせき)は胸のすくよう。それというのも、この世話場の脇役がしっかり受けの芝居をしているからである。突っ込むところは突っ込み、けれども邪魔にならぬようにバランスをとっているのはさすが。東蔵、竹三郎はもとより、松之助、嶋之亟など手堅いものだ。
 翫(かん)雀の松江侯は短気なわがまま殿様をよく写し、愛之助の数馬、孝太郎の浪路は適役。左團次の家老はすっかりこの人のものとなった。團(だん)蔵の大膳は、身体だけではない肚(はら)の大きさが欲しい。敵(かたき)役が憎体(にくてい)で幅があるほど、主役は引き立つ。そういえば「とんだところに、きた村大膳」という地口が聞かれなくなったのは、寂しいことだ。
 追い出しは舞踊二題。松緑と菊之助の「三社(じゃ)祭」は、身体を存分に使って、その汗の滴りを見せる踊り。爽やかさが身上だが、八月歌舞伎座の劇中で勘三郎、三津五郎が踊った面白さにはまだ及ばない。「俄獅子(にわかじし)」。翫雀扇(せん)雀兄弟の華やかさが見もの。また若手たちの腕のみせどころでもある。カラミの立廻りや、傘を使っての幕切れでは歌舞伎舞踊の醍醐味を十二分に味わえる。

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07/12/19│歌舞伎のツボ│コメント1

コメント

春香様
『歌舞伎よりどりみどり』これから楽しみに拝読します。
実は40年近く実演を観ていません。
そうです、学生時代に観たきりです。
春香さんの文章からぐぐ~っとおもしろさが伝わってきます。
『ツボ』を教えていただけるので、初心者もありがたいです。
どうぞ頑張ってくださいね。
美濃からの応援の風を送ります!

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