歌舞伎を見る楽しみは色々ある。出し物、役者、それぞれに心惹かれるものがあっていい。長年見てきていると、我が身を振り返って人生を重ねてみたりする。他の演劇では味わえないことである。
「沼津」は舅のお気に入りの演目だった。「人間万事芭蕉葉の、で泣かない者がいたらお目にかかりたいよ。なんだ、まだ見てないのか」舅はあれを見なくちゃ話にならないという顔をした。芝居初心者の私は半信半疑だった。舞台写真を開くと商人と汚い爺さんの二人しか映っていない。何故か陰気な芝居のように思え、迂闊にも見逃してきた。歌舞伎といえば助六のような華やかな舞台がすべてという先入観があったからである。
やがて昭和五十四年十一月、ところは中座。昔の芝居小屋の雰囲気が残るものの、座席は軋み、お世辞にも綺麗とは言えない劇場だった。すきま風が吹き抜けて、足元は寒かった。
だがそんなことはものかは、初めての「沼津」に胸打たれて私は茫然としていた。
二代目鴈治郎の十兵衛に、十三代目仁左衛門の平作なのだから、今おもえば、涎の垂れるような舞台である。幕開きから何度も笑い、終幕では人目をはばからず泣いた。
棒鼻の街道場面は、兄妹とは知らずに一目惚れしてしまう悲劇の序章が、明るい笑いのなかに構築されている。一転して、逢うは別れのはじめという絶妙の仕掛けが待ち受けていた。なぜこの演目が秀作なのか、なぜ現代人の心を捉えて離さないのか。それは作劇法の勘所を実に巧く押さえているからである。敵討ちという不条理を背景に、親子の別離とやむにやまれぬ人間の運命を描ききっているからにほかならない。
今は亡い舅の言葉を噛みしめてみた。様々なことを思い出す、今月の「沼津」である。
コメント
春香さん
いつもながら「あ~観てみたい!」と思わされます。「やむにやまれぬ人間の運命」「兄妹と知らず一目惚れ」「敵討ち」「親子の別離」う~むと唸っております。きっと観ます!とあいなりました。
それにしても素晴らしいお舅様でしたね。私の義父は日本画と犬を趣味にしていました。今頃の季節は山茶花を描いていましたねえ。褒め上手でいつでも何を着ていても褒めてくれました。
自慢は、散歩をしていると近所中の犬が呼んでくれる、親愛の情を示すというものでした。まあ義母に言わせるとポケットにかりんとうが入っていたようです。あ、いつも歌舞伎から脱線しますね。ごめんなさい、いろんな思いを引き起こす文章です。ありがとうございました。
投稿者: 風の子 | 2008年1月29日 00:00
お春さん
お春さんは、お舅さんという素晴らしい指南役がいらっしたのですね。
映画でも、大金をかけたロケ、セット、そして豪華な俳優がぞろっと並ぶ映画が必ずしも良い映画、心に残る作品とは限らないのですが、今春の「沼津」もやはり質素だったのでしょうか?
お春さんの、お舅さんとの思い出に満ちた作品「沼津」、お春さんが「泣かずに観られない」とおっしゃる「沼津」私も観てみたくなりました。当方僻地にて、なかなか歌舞伎とは縁がないのですが、座席が軋んでもいい、隙間風の吹く寒い劇場でも良い、観てみたいものですなあ!いつか、きっと観ます!老後の楽しみ、夢にしましょう♪
映画では滅多に泣かない私ですが、その時、私も泣いてしまうのでしょうか??!
投稿者: オンミ | 2008年1月31日 17:05