歌舞伎の外題は読みにくい。確かにフリガナがなければ、到底よめるものではない。
例えば「伽羅先代萩」。めいぼくせんだいはぎ、と読むのだが、これは仙台伊達藩の御家騒動を描いている。藩主が名木伽羅(きゃら)の下駄を履いたことと、仙台名産の萩を掛けてうまく名題を付けたものである。
「三人吉三巴白浪」を、さんにんきちぞうと、もえのしらなみと読んだ猛者(もさ)がいて、思わず笑ったものだ。正しくは、さんにんきちさ、ともえのしらなみ、である。
いや、他人のことを笑えない。筆者も「車引」をくるまひき、と読んで先輩に車屋じゃアあるまいし、と鼻先であしらわれた。くるまびきと濁るのが正しい。
さて、前進座の公演は、黙阿弥の名作を両花道を使ってテンポよく見せた。いつもはカットされる序幕の巾着切騒動が、脇役たちの熱演で盛り上がった。こういうお年玉は嬉しいものだ。ただ初日のせいか、傳吉の小佐川源次郎や久兵衛の中村靖之介たちの台詞が入っていない。せっかく緊張した雰囲気が壊れたのは残念である。両花道も後半だけではなく、お坊吉三の登場する「大川端」でこそ使うべきではないか。
瀬川菊之丞は、声顔姿ともによく、ほれぼれする役者ぶり。憂いの台詞が利いている。
河原崎國太郎は、声で損をしている。女形の発声と地声との落差が少なく、その所為で振袖の女から男への替わり身がいま一つぱっとしない。弁天小僧と同じように、人柄作りのお嬢さんが実は、というところがこの狂言のミソであろう。
藤川矢之輔の和尚吉三は相応。しかし台詞術が緩急自在とは言い難く、見物を酔わせる凄味も不足している。渋谷コクーンの勘三郎には大輪の華があったことを思い出した。
コメント
お春さん
いやぁ、参りました!
ただ漢字を読むだけでも怪しいのに
「伽羅先代萩」が「めいぼくせんだいはぎ」と読むんですか?!
歌舞伎はドシロウトですが、同じ名作でも、公演によって台詞の入れ方や花道の使い方が違うのですね。
何回も演じている慣れた役者さんでも初日となると緊張するのでしょうか?
観客を酔わせる凄みとは、目の肥えたお春さんでなくては、感じられないのでしょうね。
投稿者: オンミ | 2008年1月15日 16:48