小説を読むのに飽きると、きまって写真集を開く。風景よりも人間がいい。説明なしでも、写真は瞬時に何事かを語ってくれる。会ったことのない人物でも、ハラワタまで覗いた気にさせてくれるから不思議なものだ。
土門拳の「風貌」はもう三十年以上前の本だが、見るたびに新鮮な驚きが感じられて、密かな愛読書になっている。
六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、九代目市川海老蔵など錚々たる役者たちに混じって、三代目中村梅玉の一枚が印象的である。
まだ鬘(かつら)もつけず、衣裳も身にまとわず、ただ紅、白粉の女形がそこにいた。今ひと口お茶を呑んだらしく、右手に九谷のような茶碗を持ち、左手で楽屋着の浴衣の端をそっと押さえている。その風情は、異様のなかに品があり、なんとも艶かしい。
土門によれば、「眼もとと口もとに、梅の花のこぼれるような色気があって、眼のくらむような美しさだった」という。これは大阪歌舞伎座で、「伽羅先代萩」の政岡の出を待つ、ほんのひとときの間だったらしい。
梅玉は明治八年大阪生まれで、昭和二十三年に亡くなっているから、私はこの役者を見たことがない。それなのに、この芝居の政岡はきっとすばらしかったのだろうと想像できる。凜とした顔と両手の仕種だけで、あの飯炊きから幕切れまで、見事にこなしたに違いないと推し量ることができるのだった。
この写真はシャッターを切る折り、メーン・ライトの大型閃光電球が不発に終わる。しまったと思ったが、他に閃光電球はなく、一本勝負の写真だった。それでも目を剥くものが撮れていた。
土門拳はこれを、「鬼」の写真と呼ぶ。計算を踏みはずした時にだけ撮れる、つまり鬼が手伝った写真という意味だった。(挿絵「土門拳像」川浪進)
コメント
映像も好きですが、写真の方が多くの事を感じられる私にとっては、今回のお話はとてもよく解りました。土門氏の作品はリラックスしているように見える肖像写真でさえも、なんだか緊迫感に溢れているような感じがし居住まいを正してしまいます。
いま公開中の 『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』も時間を都合して是非観に行こうと思っています。
http://www.magnumphotos-movie.net/
春香さんも機会がありましたらごらんください。
投稿者: まちこ | 2008年2月12日 18:41
春香さん、小説に疲れると写真集を開く。ああ、そうですね。
瞬間を切り取って、その表情をいかすのは、鬼の作ならでは。
私は図書館大好き党ですが、小説と共に写真集も時折借りてきます。
それと、今回は川浪画伯の挿絵も素晴らしいですね。
絵の上でクリックしたら大きくなって、じっくり味わわせていただけました。
ありがとうございます。
投稿者: 風の子 | 2008年2月12日 21:01