「暇があれば歌舞伎を覗きます。あの色彩感覚には驚かされます。とにかく、見る度に新しい発見がありますから」日本を代表するファッションリーダーが、こう述べていた。
初めて歌舞伎を見て、その衣裳、鬘、大道具、小道具の美しさに心を奪われない人はいないだろう。『寺子屋』の松王は雪持ち松に鷹図意匠、また『廓文章(くるわぶんしょう)』の伊左衛門は、黒襟付きの緋の襦袢、黒と紫のはぎ合わせに文字散らしの紙子(かみこ)衣裳である。時代物狂言に出てくるお姫様は、緋綸子の振り袖に銀の花櫛、吹輪という艶やかさだし、その横に、緋色の着付けに紫の裃の若衆が並ぶと、大胆な配色に目が眩むようだ。ふと「プラダを着た悪魔」という映画を思い出した。メリル・ストリープの老獪な上司も魅力的だが、それよりも溢れかえったとりどりの衣裳が主役だった気がする。
歌舞伎の大本には、何を表現するかは二の次にして、まず心地よく見せるという大前提がある。通し狂言もさることながら、それぞれのいい所取りをしたみどり狂言を組むのもその現れだろう。たとえば一月歌舞伎座の「けいせい浜真砂」の南禅寺山門の場。定式幕が開いても、舞台は浅葱幕で覆われている。ワクワク、ドキドキ。「げに九重の桜に匂う山門の」という幕外の大薩摩のあとで、豪壮に太鼓が鳴って幕が振り落とされる。桜の釣り枝や絢爛豪華な山門の壮大さに圧倒されること、間違いなしである。
雀右衛門の女五右衛門に吉右衛門の真柴久吉という二人だけの舞台は、たった十五分で終わる。音楽の効果、華麗な衣裳、役者の台詞や形の美しさ、それらすべてが相俟って、この夢のような一幕は成り立っている。極端に言えば、筋などは不要。頭で理解するのではなく、直感と感性ですくいとるひと幕である。(挿絵・川浪進)
コメント
お春さん
「やったあ!」ウフフ。
ビックリしましたよ。「プラダを着た悪魔」は私の大好きな映画です。まさか、お春さんがこの映画に言及なさるとは!
筋は不要ですか?歌舞伎って平和な世界なんですね。剣戟でも、舞台では白黒決着をつけないって、お聞きしたことがあります。
「音楽の効果」「華麗な衣装」「役者の台詞や形の美しさ」ですか!なるほど。
それにしても、二人だけの夢のような15分の一幕、観てみたいものですね。直感と感性だけなら、私でも大丈夫です。ウフフ。
挿絵の「メリル・ストリープ」、とても美しい!嬉しくなってしまいます♪
投稿者: オンミ | 2008年3月25日 00:30
春香さん
いやあ、私もびっくりです!
メリル・ストリープ、素敵な女優さんですね。でも哀しいかな存在感が有りすぎて、どんな役もメリル・ストリープになってしまう!歌舞伎の役者さんも、こんな哀しさはあるのでしょうか?
それと、「直感と感性ですくいとる」そうですねえ。芸術は最終的にこの言葉に尽きます。作家昌山人師がよく話しておられました。「自分の感性で選ぶのが一番です」
今回も春香さんのブログで、いろ~んな思いを抱かされました。
ありがとうございます!
投稿者: 風の子 | 2008年3月30日 15:05