武者小路実篤の「愛と死」を読んでぽろぽろ泣いたのは幾つの時だったろう。主人公に痛く同情したのだが、許嫁夏子の死因がスペイン風邪とあるのに首を傾げたものだ。たかが風邪くらいで大の大人が死ぬだろうか。
先日、新型インフルエンザの報告書を読んで、その恐ろしさに慄然とした。1918年から流行りだしたスペイン風邪は瞬く間に世界に広がり、歴史人口学者、速水融氏の調査によると、日本の人口5500万のうち、40万人が亡くなったという。全世界ではなんと8千万人の死亡が推計されているとか。流行が懸念される新型はH5N1と呼ばれ、今までにない特徴を持つ。ウイルスは自分が滅びぬよう、宿主を殺し過ぎないようにするのだが、H5は強毒型で急激に死に至らしめる。しかも20歳前後の死亡率が7割と高い。つまり働き手を直撃するのである。90年前の怖さを忘れた日本の対策は遅れているようだ
岡本綺堂の随筆によると、明治二十年代に猖獗(しょうけつ)を極めたインフルエンザに、江戸っ子はお染風という名前をつけた。いうまでもなくこれは文楽や歌舞伎のお染久松のことで、お染が久松に惚れたようにすぐに感染するという判じ物である。病がお染であるから、これにかかる患者は久松であろうということで、家々の軒先には「久松留守」という札が貼られた。また新聞が書き立てたものだから、かえって迷信を煽る結果となり「久松るす」だの「お染御免」などという紙札が東京のあちこちで舞った。思えばのどかな時代だった。
けれど今はこんなことで風流がってもいられない。流行終息まで8週間はかかるということなので、ともかく食料備蓄が必要か。
松竹座の花形歌舞伎「お染の七役」は早変わりとテンポのよさでみせる。歌舞伎入門として恰好の演目だった。(挿絵・川浪進)
コメント
春香さん
スペイン風邪と聞くと、島村抱月の死とあとを追った松井須磨子の死を思い出します。
島村抱月のラブレターは一途に少年のように書かれたものだったとか。
その文章は印象的でした。
覚えていますが、書くのはちょっと恥ずかしいです。
さて「久松るす」「お染め御免」ですか~。
のどかですが機知に富んでいますね。
けど、おそろしい病です。
あ、「と」「ち」「り」の席が一番よい席、というのも面白いですね。
いつも博学を惜しげもなくご披露下さりありがとうございます。
画伯も素晴らしい絵をありがとうございます。
投稿者: 風の子 | 2008年4月22日 23:21