数の子はコリコリという音を食べ、初鰹は初という字を食べるのだという。
青葉の季節、徹夜明けの頭にホトトギスの声が響く。聞きなしはテッペンカケタカ。一服の清涼剤である。大病を患ってからこれを聞くと、ああ、なんとか今年も一年生き延びることができたか、という詠嘆がもれる。言い古された句ながら、素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」を口に出さずにはいられない。さて、芝居の初鰹といえば河竹黙阿弥の「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」、いわゆる「髪結新三(かみゆいしんざ)」にとどめを刺す。
主役の新三と家主長兵衛のやりとりが圧巻である。そっくり貰えると思った三十両が、半分の十五両しか貰えないとわかるまでの騒ぎ。その受け答えの合間に長兵衛は「鰹は半分もらっていくよ」と挟むのである。無頼漢の新三が、へなちょこ親父の家主に手玉にとられる有り様には溜飲が下がる。さすがに黙阿弥、明治六年の初演当時は見事な現代劇であったに違いない。また台本にない捨台詞の応酬は役者の腕の見せ所でもある。
世話物の登場人物は生活感が身上である。たとえ台本になくても、動作に合わせた言葉によって場面場面を写実に見せる。けれども、突然お弁当を付けられると詰まる事もある。お弁当とは入れ事で、例えば新三が子分の勝奴に話しかける。「この植木はどこで買ったィ?」と訊かれて、まさか大丸でとも言えず言葉につかえた勝奴。翌日はしっかり調べていく。同じ質問に意気揚々と「八幡様で」と答えたら今度は、「いくらで?」と畳みかけられ、又絶句したとか。
とまれ初物を有り難がるのは江戸で、大坂は魚島という言葉もあるように、旬の物を安く味よく食べるという意識が根強い。粋と実。江戸と大坂の違いは面白い。(挿絵・川浪進)
○聞きなし
鳥や虫の声を覚えるために意味のある言葉に置き換えることをいう。例えば、ウグイスを「法、法華経」。コノハズクを「仏法僧」。センダイムシクイには、「鶴千代君ィー」という聞きなしがある。これは仙台の伊達騒動を題材にした歌舞伎「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)の若君の名前をかけている。鳥の名のセンダイもここからきているとか。芝居がいかに身近であったか、また江戸庶民の一般教養も高かったことがうかがえる。
○入れ事
台本にない文句や所作などをはさむこと。
○魚島(うおじま)
八十八夜前後の魚類の豊漁期をいう。陰暦三、四月頃、瀬戸内海の魚島付近に産卵のために鯛や蛸が集まる。そのため漁獲高も多く味もよい時期であるところからいう上方の語。
コメント
春香さん
わ~お!今回も勉強になります。
『聞きなし』は内容は知っていましたが、『聞きなし』と言うことは初めて知りました。
一般教養が低いです、がっくり。
それと、粋と実の違いは面白いですね。
へなちょこ親父が無頼漢と捨て台詞の応酬!聞いてみたい!
捨て台詞って頭の回転がよくないと放てませんもの。
言ってみたいなあ。
喧嘩しながら相手をクスリと笑わせたい!
今回も楽しかったでーす。
毎週大変ですが、これからも健筆でお願いしますね(^_^)/~
投稿者: 風の子 | 2008年6月23日 19:19