芝居を解体して練り上げる何々版歌舞伎が盛んである。もちろん古典だからといって、昔のままに演じていては黴がはえてしまう。しかし初演されてから数百年も生き残り、洗い上げられてきた作品は貴重である。着物の色や柄一つとっても、これでなければ成り立たないという定型ができている。
例えば「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の住吉鳥居前に出てくる床見世の暖簾である。あの大胆なあばれ熨斗模様は、注目に値する。しかも団七役者の紋も一緒に染め抜いてあって、誰が考案したのか、まことに世界のどこに出しても負けない意匠といっていい。それが今回消えた。
また、団七と徳兵衛が高札で争う中を、お梶が止めに入る。たまたま床見世に掛かっている芝居の番付板で押さえる面白さ。これは世話浄瑠璃の「曽根崎心中」である事というが原作の指定である。ところが串田和美演出はこれまた素っ飛ばして、お梶は日傘で止めに入る。他の部分は胸のすくような切口なのに、暖簾と日傘、この二つだけは頂けない。いや大変困る。
理由は簡単、芝居の中に芝居番付を出す事は、入れ子になって奥行きが一段と深まっていたのである。しかも曽根崎心中の主役の名前は同じ徳兵衛、わざわざ限定したのもこの物語を喚起させることによっての通奏低音を狙っていたに違いない。
もっと卑近な事を言えば、上方の人間は高価な日傘を壊すような真似はいたしません。出すものなら舌でも嫌、まして大坂はシブチンと揶揄されようと「節約倹約始末は美徳」が骨の髄まで染み込んでいる土地柄である。大切な日傘は取り置いて、手近な芝居番付で止めに入るのが至極当然。あたりきしゃりきなのです、串田さん。ここの所を呑み込んで、次回は暖簾もコッテリ派手な「夏祭」といきましょうよ、ね。(挿絵・川浪進)
コメント
春香さん
素晴らしいアドバイスですね。
確かに!
あたりきしゃりきです。
私めも幼い頃は浪速におりました。
まあざっくばらんで楽しいです。
そんなもん、大切な日傘を使うわけありません。
それと、入れ子にしてある創意も大切でおもろいでんがな、まんがな~。
串田さん読まれて、是非コメントを!次回変わるかも楽しみですね。
今回の川浪画伯、群像もお上手ですね!
投稿者: 風の子 | 2008年6月30日 19:19