羅(うすもの)をゆるやかに著て崩れざる

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中村勘三郎 「昔はこうは暑うなかったなぁ。せいぜい三十二、三度どっせ。きょうびの暑さは、えげつない」と京都の古老は嘆く。確かに最近の猛暑は、早くて便利を追求した文明のツケが回って来ているような気がする。
 さて、本水と書いて「ほんみず」と読む。普通、舞台では本物は出てこない。そもそもびしょ濡れの舞台で芝居は続けられるはずがない。その常識を覆すように、滝のような夕立を降らせたり、舞台を川や池に見立てて水や泥を飛ばすことがある。夏芝居の景物といっていい。
 かの「夏祭浪花鑑」では長町裏の義平次殺しが有名だが、通称ここを「泥場」という。蓮池の泥田の中で、団七と義平次が微に入り細を穿ち、殺しの長丁場をみせる。考えてみれば、人間の極限状況をこれほど美化した演劇も他にないのではないか。
 残酷無比な殺人を、歌舞伎では舞踊的に描いてしまう。いやむしろ現実から遊離することで、そこにひとつの世界を創ろうとしたようにも思える。リアルな殺人など本当は見たくないはず。ものの本質はそんなところにあるわけがない。こうあらまほしい姿を、官能に訴えたとみるべきだろうか。
 役者は泥まみれでのたうちまわる。勿論、かぶりつきで見ている見物も泥を浴びるのだが、劇場側からあらかじめビニールシートが用意されている。一日、絽の単(ひとえ)を涼しげに着こなした女性がそのままに座っていた。「おや」と尋ねたところ、「大丈夫。汚れるのを気にするくらいなら、はなから着てきたりしません」とのたまった。なるほどそのとおり。それくらいの心意気がなくては芝居見物はできない。一張羅の洋服が、やれ濡れただの汚れただのと、文句たらたらの自分が恥ずかしくなった次第。美人に見えましたよ、その女性。(挿絵・川浪進/中村勘三郎像)

※羅(うすもの) 絽、紗、明石縮(あかしちぢみ)、透綾(すきや)、上布、などの薄絹、細麻で織ったものをまとめて羅という。
※「羅をゆるやかに著て」は、松本たかし(1906-1956)の句。能役者の家に生まれるも、病弱のため断念。

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08/08/05│歌舞伎のツボ│コメント2

コメント

春香さん

待ってました!
「羅をゆるやかに著て崩れざる」
素晴らしい句ですね。
舞台は観ていませんが、この場面はテレビと月刊誌の特集で観ました。
とても印象深かったです。
泥田の中でのからみが、心の中の葛藤をも表して、凄いなあ、怖いなあと。
目をそらせられず、見入ってしまいました。
ふむふむ、着物なんざよごれたって!
そういう観客が居て、役者冥利に尽きるでしょう。
この場面もお芝居の中のようですね。

さて、今回の川浪画伯!素晴らしい。
勘三郎さんが蜻蛉のような薄物に包まれている。
滲んでいながら、滲んでいない人物像、凄いテクニックですね。
かんげきです~。

お春さん

帰ってきやしたよ、オハルさんの生まれ故郷から!

札幌も暑かった。でも、(御地の皆さんにはゴメンなさい)幸せなことに夜には気温が下るのですよ。

江戸時代って、平和だったってお聞きしました。今のように、ボランティアなんてことがなくても、自然と困っている人には周りの人が面倒を見てくれるって。

だから、歌舞伎でも余りに怖い所は省くのでしょう??

ゴメン!いつもながら、たいしたコメントじゃなくて!

お春さん、ゆっくり夏休みを取ってくださいね。

充電の時間ってとても大事です。

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