「エデンの東」のジェームズ・ディーンは二十四歳で交通事故死した。いやいや、実は顔に重傷を負っただけでまだ生きているのだ、というまことしやかな話を聞いたことがある。洋の東西、時の古今を問わず英雄伝説は各地に残るらしい。
さて「義経千本桜」の二段目は、壇の浦で入水した平知盛が実は生きていたという空想から、芝居がはじまる。
主役の銀平の姿がこれまた颯爽としたもの。お祭り付きの町人髷、縞の着付にアイヌ模様の厚司を羽織り、なぜか番傘をさしている。
この船宿渡海屋の主人銀平が、実は知盛だったり、その娘お安が、実は安徳天皇だったり、女房お柳が実は典侍局(すけのつぼね)だったり、舞台は実は実はの大安売りである。
こういう嘘で固めた狂言は、ひとつ間違えると荒唐無稽で終わりかねない。ところがこの二百六十年もの星霜を経た物語には、底力がある。趣向も話術も磐石。ひとたび知盛が大薙刀を振り上げると、庶民の日常を蹴散らし、そこに平家滅亡が再現できるのである。
「嘘を丹念に積み上げていくと真になる」という作劇法を、江戸時代の浄瑠璃作者はどこで学んだのだろう。あるいは、実作を通して会得したのか。驚くべき独創性である。
大時代ものの筆頭として、立ち回りも見得も、衣裳の一つ一つにいたるまで、洗練された型がある。なるほど、骨格の大きさが光るわけである。その上義太夫の節にも切々とした哀感が漂い、観客を魅了して止まない。
幕切れに知盛が碇と共に入水する場面などは、何度見ても、手に汗を握るものだ。後ろ向きに落ちるので、舞台裏では弟子たちが網を使って受け止めるらしい。けれどもタイミングが合わないと、救命用具の網を持っていても頭突きをしてしまうとか。気の抜けない芝居がここにある。(挿絵・川浪進)
コメント
春香さん
あの人が生きていればこうかしら?
そしたらこの人は…。
と、作者はあれこれ考えて創りあげたのでしょうね。
それには、凡人が思いつかない発想が
必須条件でしょうね。
「あ!!!!」と言わせたら、もうその世界へ入り込んでしまう。
ふうん、物語の底力に役者の演技力、観客がのめり込まされる夢の世界なんですね。
現代の演劇にも通じるものがありますね~。
(*^_^*)またまた興味が湧きました。
ありがとうございます。
川浪画伯の絵も、刺激的です!
投稿者: 風の子 | 2008年9月16日 17:57