ずぼんぼ

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ずぼんぼ 聞き慣れない言葉である。なに、これ? と首を傾げる方も少なくないのでは。何を隠そう、(そんなに大上段に構えなくてもいいんですが)江戸の郷土玩具の名前である。
 まず、半紙に好みの顔を描き、四隅に一寸幅の長い紙の足をつける。さらにその先にシジミの貝殻を貼り付けて出来上がり。円く輪になった人々が、
  ずぼんぼや ずぼんぼや
  ずぼんぼ腹立ちゃ つら憎や
  池のどん亀 なりゃこそ
  ささの相手に ヤレコレずぼんぼや
と囃しながら、団扇で煽ぐ。薄い紙のおもちゃのことであるから、ずぼんぼは、あちらへ飛び、こちらへ動く。ふわふわ舞った末に、ぴたりと張り付かれた人が負け、という単純な遊びである。
 ここまでくると、もうおわかりですね。そう、「鳴神」の白雲、黒雲坊の引っ込みの踊りがまさにこれをひとひねりしたもの。かなり卑猥な言葉も含み、もとは酒間の遊びだったことがわかる。おもちゃ自体は今でも浅草の仲見世で売られているという。
 幸田文の「父・こんなこと」の中に出て来るずぼんぼは、露伴が「目がぎょろぎょろ」と「変な顔」を描いたとある。団扇で煽ぐとその変な顔は珍妙に崩れたそうだから、それだけでも子ども達は大いに喜んだと思われる。ずぼんぼの合いの手は一説によると、江戸の町人の獅子舞の囃子詞という。紙を使って、風を頼りに飛翔するさまは、一種呪術の領域になるのかもしれない。
 獅子舞、祭とくれば、神の依代を必要とする。紙(神)が張り付く者こそ巫女(シャーマン)であり、それが神憑りのしるしと思えば何やらありがたいではないか。子どもの遊びのもとをたどると、意外な変貌に気付いて推理小説を読むような愉さを味あわせてくれる。(挿絵・川浪進)

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08/09/29│歌舞伎のツボ│コメント1

コメント

春香さん

またまた面白い!

頭の中で「こんなのかなあ」と作ってみました。

子どもの遊びが呪術につながる。
「かごめ かごめ」もそうでしたね。

鬼ごっこも、はたと気づくと一人きりになったようで、見つけてもらえないのが怖かった。

郷土玩具から、歌舞伎、幸田露伴、神憑りと、春香ワールドがひろがって楽しませていただきました。

ふむふむ推理小説を読む愉しさですね~。

私め、久方ぶりに松本清張を再読しつつ、はっと気づくと母のベッドサイドという不孝な看護人をしています。

また次回も楽しませてください!

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