まァず、本日はこれぎり

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 ポール・ニューマンの訃報を聞いて、「明日に向って撃て」を見た。この映画はベトナム戦争で方向を見失ったアメリカを象徴し、混沌の中で息を吹き返したニューシネマの草分けといわれている。
 ロバート・レッドフォードとの凸凹コンビも魅力的で、男二人に女一人の構図が軽やかだった。それだけでも趣向なのに、幕切には驚いた。悲惨な死かと思いきや、蜂の巣に撃たれることなく画面が止まる。結末は多分そうなのだろうが、ご想像にお任せしますと下駄を預けたかたち。ああ、よかった。嬉しさのあまり「これは歌舞伎の絵面だ」と、拍手してしまった。
 歌舞伎では大詰を重要視しない。なるほど演劇の常道から見れば、外れているかもしれない。例えば曽我物は十郎五郎の仇討の話だが、芝居で繰り返されるのは「対面」の一幕ばかり。討つ方も討たれる方も同じ舞台でその綺羅を誇り、絵面で終わる。剣劇を期待する人は肩すかしを喰うだろう。
 「忠臣蔵」も討入りはほとんどカットされる。あれは高師直の白髪首をとるだけで、余情もへったくれもない。ただ若手の殺陣が見どころ、といってもいまさら新国劇の二番煎じでもあるまいし、誰も見ない。
 「髪結新三」はもっとすごい。大詰「閻魔堂橋」で弥太五郎源七との立廻りを見せると、闘っていた新三と仲良く手をつき、「まァず、本日はこれぎり」と平伏するのである。
 座頭役者も、余り無様な姿を晒したくない。これは人情であろう。観客とて同じこと。出てきただけでゾクゾクするような二枚目の、光と影と憂いのある姿を見たいのである。さればこそ万難を排してホテルを予約し、飛行機、新幹線、船を乗り継いで、劇場に出かけるのである。劇評家がもっともらしく、古典には主題や観念や思想が不可欠、なんぞとごたくを並べても集客力にはならない。この幕切はお客の熱烈な要望から生まれたんでしょうね、きっと。(挿絵・川浪進)

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08/11/07│歌舞伎のツボ│コメント2

コメント

お春さん

そう、そうなんですよね。
NHKで「御所五郎蔵」を観た時に、最後の決着がつく前に、終わってしまって、ちょっと「???」って思いやした。

NHKの解説者によると、仁左衛門さんのファンもいるし、左団次さんのファンもいるので、最後まで決着はつけないそうな。「そんなものかなぁ!」と少し以外でした。

歌舞伎って平和な世界なんだなぁ!って、以来ずーっと思っていました。

お春さん、また懐かしい映画を!

「明日に向かって撃て」 良いですねぇ♪ 上等の映画でしたね。音楽も良かった♪昔の映画は、しっかりしてやしたね。

小説や他の映画でも、こういう結末を想像させる作品って多いですよね。余韻が残って、いいんですよね。

この週末は録画したお芝居でも観ようかしら?何を観ようかな?「忠臣蔵」かな?ウフフ。

そろそろ秋ともお別れ。タイヤ交換もしやした。

さて、「まァず、本日はこれぎり。」イッシッシ♪

春香さん

幕切れで、美しさを保ちたいのは古今東西変わらぬ美学なのでしょうか。

それにしても、敵同士が仲良く平伏とは、歌舞伎は何でもありで、疲れないですね。
それと、オンミさんの文章にあるように、登場人物であり、贔屓の役者でもあると解って
観る面白さ、期待を裏切らぬサービスでしょうか。

ポール・ニューマン!アクアマリンのような瞳を再現いただき、偲びます。
スクリーンの中では、永遠のスターですね。

ただいまと骨壺に云ふ寒さかな  -恩田侑布子-

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