大きいことはいいことか

*

 正直、「信濃路紅葉鬼揃」がこんなに面白いとは思わなかった。歌舞伎座での初演時に退屈で退屈で何度も居眠りしてしまったからである。能がかりを強調した玉三郎の努力は認めるが、松羽目舞踊だからといって「侘」「寂」「幽玄」という原点に戻ればいいというものではない。さすがに彼の炯眼も空回りしているようにみえた。
 ところが今回、目を瞠ったのは、唐織の装束である。地元西陣で新調したせいか、朱色の半切(はんぎれ・袴の一種)によく映り、いずれ劣らぬ綾錦で舞台を埋め尽くしていた。歌舞伎座では遥か彼方で刺戟さえ受けなかったのに、南座という劇場(こや)ではその力を充分に発揮している。興味深いことだった。つまりあれから随分作品の刈込みもしたのだろうが、上首尾を導いたのは、むしろ劇場の大きさではなかろうかと気がついたのである。
 琴平の金丸座、平成中村座など、芝居の魅力が充分に味わえるところは、客席数が少ない。ちなみに、歌舞伎座2092、金丸座720、中村座800である。人間の身体能力がそれほど変わる訳は無し、どんなに音響装置が精巧になろうと、行渡る範囲は知れている。たとえ名人上手の伎倆をもってしても、二階から目薬では効力がないに等しいだろう。
 南座の座席数は1078、程よい大きさといえる。舞台間口が十五間という歌舞伎座からみれば、南座はその半分の八間だから、その分、密度も濃くなるし、たちまち芝居と一体化できる。だいたい歌舞伎座は横長で、広すぎるのが欠点である。先日、その歌舞伎座の改築が発表された。2010年4月で閉館。劇場とオフィスビルとを合わせた施設に建て替わるらしい。お願いは一つだけ。どうぞこぢんまりと、できれば役者の汗が見えるくらいの劇場をということである。大きければよいという時代は過ぎてしまった。
 さて一年間、お付き合いいただきまことにありがとうございました。今度は劇場でお逢いしたいものです。(挿絵・川浪進)

*
08/12/19│歌舞伎のツボ│コメント12

コメント

お春さん

そうです。大きいことが必ずしも良いとは限りません。

私は、自慢じゃありませんが、体が小さいのです。教壇に立つと、さほど小さく見えないそうで、廊下で会ったりすると、生徒達から「センセイ、チッチャイ!」なんて言われます。教え子などから「センセイ、いっぱい寝て大きくなってください。」なぁンてメールを頂いたりします。洗濯物を干すときはちょいと不便を感じますが、小さくてもちゃんと人間として機能してます。ウフフ。

歌舞伎座が改築されることはニュースで見ました。その前に一度行きたいものだと思っていましたが…。

役者さんの汗が見えるくらいの劇場ですか?!きっとお春さんの声が通って、新しい歌舞伎座はお芝居の魅力を充分堪能できる大きさになることでしょう。

今日の挿絵はまたまたスゴーク綺麗♪色がとても良いですねぇ…。

ずーっと続くと思っていましたが、もうお別れなのですね。寂しい限りです。

門外漢の私でも分かるように色々工夫してくださって、お春さんの文を拝読するのは私の極上の楽しみでした。

魂のこもった力強い、テンポのいい、お春さんの描写に、ついつい引き込まれてしまったものです。

お春さんの軽快な文と進先生の美しい挿絵に会える時間は、私にとって至福の時でした。

本当に有難うございました。

また、私の時としてはしたない、ピントのずれているコメントを掲載してくださいました、京都民報社のスタッフの方々、本当に有難うございました。
京都民報社は永遠に不滅です!イッシッシ♪又、こういうステキな企画をお願いします。

そう、お春さんといつか劇場ですれ違うかもしれませんね。

お春さん、達者でね♪

お春さんも進先生も、お元気でステキなクリスマスとお正月、素晴らしい2009をお迎え下さいませ。

春香さん

小屋の大きさには、役者も苦労されるでしょうね。
昔、夫と金子由香利さんのシャンソンを小さなホールで聴きました。
囁くかのように唄い、吐息も身近に感じました。
リクエストのメモを「あなたはアズナブールがお好きなのね」と由香利さんに声をかけられ、
返事もまともに出来ない夫でした…。
『帰り来ぬ青春』です。

さて、川浪春香様
最終回なのですね。
毎回とっても楽しみにしていました。というより、あっという間に終わりなんて、残念です。
是非また、再登場してください!!
春香さんの文章を読んで、多くの役者の心意気を感じ、舞台の模様を脳裏に浮かべ、
役者と観客の呼吸まで実感しました。
本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。

それと、川浪進先生、最終回も素晴らしいですね。
夫唱婦随いや婦唱夫随でしょうか。
裏方となりお支え、いや文章を際だたせる相方となっていただきました。
読者として、春香さんのファンとして御礼申し上げます。
お疲れ様でした。

さ、劇場でお会いできる日を指折り数え待っています。
おふたりとも、楽しませてくださりありがとう!

最終回ですから、遠慮しないでもう一度!

京都民報様、私からもお詫びとお礼を申し上げます。
拙いコメントを載せていただきありがとうございます。
これからも素晴らしい企画お待ちしております。

そして…、オンミさん!
お会いしたことも無いのですが、コメント仲間として、
春香ファンクラブ(あったかな?)会員同士として、親近感を持っていました。
オンミさんの楽しいコメントもワクワクしていましたよ~。
ありがとうございます。
オンミさん、小柄なのですか~。
そうかあ、私は大柄です。
「たたいても死なん、転んでもただ起きん」タイプです。
いいですね、小柄な女性は可憐で可愛いです。
あ、いつもつまらない脱線を…。
北の国に住む、生徒に人気の経済の先生で、愛しい旦那様とお暮らしで、
お嬢様を慈しみ、親孝行で、サッカー狂。
ウッシッシと笑う、ガッツあふれたオンミさん、またお会い日する日まで。
さようなら。

この頃、歌舞伎を見ていません。以前は、2~3年に一回南座に行っていました。雑用が増えて、気分的に忙しくなってきているからでしよう。
 以前見た「道成寺」・「鳴神」等が懐かしくなってきました。是非、機会があれば、見に行きたいです。
 雲ヶ畑等は、「原作」の舞台となった土地だと知って、前より関心は高くなってきました。

 世の中、「摩訶不思議世界」ですね。
人が知りえた「世界の情報」は、まあ10%程度だそうです。
 「ブラックホール」とか「iPs細胞」等は、『入り口』程度でしょう。実は、人間のたちいっいては駄目の世界とは、僕が「財政学会」で主張した意見でした。
 その後、反応がありません。少数意見なのかも知れません。しかし、正論を主張続けるのが、「世のため、人のため」との認識です。『孤塁』とは、今日は大事な概念と思います。

 歌舞伎大好き人間ですが、こう忙しいとなかなか出向けません。時々、新聞やTVで歌舞伎の一場面を見せて戴き、ホッとしたりもしています。
 以前、前進座の「鳴る神」を見ました。場面も雲ヶ畑とは、僕の関心事と一致していました。勝手ながらも、また、やって戴きたいものです。

 お久しぶりです。先日、1983年版の「昭和京都名所圓會4洛西」を戴いたのでじっくりと読ませて戴きました。
 「鳴神」の世界は、つい30年位までは、雲ヶ畑や大森等にあったと気づきました。
 学生時代、綺麗な蝶や山歩きを求めて、北山一体を歩いたことが、歌舞伎好きや歴史好きの今の自分の基盤になったとわかってきました。
 我儘を許してくれた父母や兄姉のお蔭でもあります。
 やっぱり、北山は「仏の山」でもありました。「神仏世界そのもの」だったに違いありません。とりわけ、北山には
太古より「山の神」が人々をも生かしていただけた筈です。
 

 先日、友達と愛宕の竜ヶ岳に登ってきました。「龍の小屋」から登りました。京都では珍しい物凄い岩場続きでした。
 苦しい登りでしたが、日本石楠花が満開期で、幸せ感もありました。「苦あれば、楽有り」を実感しました。
 愛宕は、平安京の時代より神仏習合の信仰でした。元は在来系の信仰だったそうですが、どうもいつの間にか「天誕系」に替わってしまったようです。オタギ学で学んでしまいました。
 歌舞伎でも同じようなストーリーがあった筈です。何という題目でしたでしょうか。

 この頃、前よりも苦しい時間が多いです。歌舞伎を見たくても、時間的にも経済的にもゆとりがありません。
 替わりに、新聞等の歌舞伎情報を探したりもしております。

今度こそ、ゆっくり行きたいです。前進座の「初春特別公演」、来年の1月3~15日ですね。
 今頃から準備なさっているのですね。
おススメでもあります。

 何か『現在の消費税増税や大飯原発再稼働への動き』も、下手な歌舞伎のように見えてきます。
 台本書きの方も演者ももうひとつですね。これでは、人気が出てこないでしょう。
 もっと違う本物のストーリーと本物の演者にして戴きたいものでございます。
 無理なのでしょうか。

この前、祇園祭の鉾立てを見てきました。ゆっくりとした作業でしたが、正確な流れのある作業でもありました。それで、昨日は小雨の中で山・鉾の最終作業もされていました。宵山・巡行とたっぷりみせい戴きたいです。
 全体が歌舞伎だとも解釈させて戴いております。
 大相撲もゆったり感がもてていいです。しかし、祇園祭・歌舞伎は、大相撲とは、違って繰り返し部分がありません。

コメントを投稿

コメントは、京都民報Web編集局が承認するまで表示されません。
承認作業は平日の10時から18時の営業時間帯に行います。


メールアドレスは公開されません