和布ものがたり
織物と「川島甚兵衛(じんべえ)」さん
現在、私の主宰する「アトリエのぶ」は、上京区東堀川堅富田町の錦綾(きんりょう)マンションの地下1階で営業して8年余りになります。最近、この場所が川島織物の工場の跡地であるということを初めて知りました。織物が大好きである私にとって、ここで布の仕事をしているというのは、何かの縁かもしれません。
すぐ傍の堀川に水車が回っていたと聞き、調べるために平成元年に発行された『錬技抄 川島織物一四五年史』を読んでみることにしました。創業者「川島甚兵衛」さんについては少しは聞いていましたが、「初代甚兵衛」さんから「四代目甚兵衛」さんまで、4人いらしたとは知りませんでした。なかでも、利潤追求のみに走らず、発明考案家であり芸術家としても活躍された「二代目甚兵衛」さんには心惹かれるものがあります。生涯、社会事業や西陣業界の振興に惜しみなく私財を投じ、教育施設等にも喜捨を行う一方、利権を求め政界や政府高官に献金したことは一度とてなく、当然、彼らからなんらの利益を得ることもなかったと記されています。ほんとうにすばらしい方だったと思います。
織物を芸術の域にまで高め、宮廷室内装飾やタペストリー、緞帳等は世界的にも高い評価を得るまでになり、日本の織の文化に多大な貢献をされました。
今、100年に一度といわれる不況の中で、西陣も大変な時です。時代は違いますが、「川島甚兵衛」さんの歩んでこられた歴史の中に大きなヒントがあるのではないでしょうか。
1)「初代甚兵衛」さんが川島創業の礎石を築いたのは、経済がどん底状態の時でした。この頃、どのような事業で成功したのか?
2)明治42年、「二代目甚兵衛」さんの時代、「織物消費税廃止」を求める行列で、大宮、千本通が5000人の人々で埋め尽くされたと記されておりますが、そのエネルギーの源は何だったのか?
3)「三代目甚兵衛」さんが、テクノロジーが高度に発達した時代の中で「手とテクノロジーの融合」を目指して何を作り出して成功したのか?
1)~3)の答えはみなさん一度考えてみてください。そして、もしお時間がありましたら、左京区市原の川島織物の資料館に足を運んでみてください。
川島織物のテーブルセンター
上)十六菊の紋と五三の桐の紋の組み合わせ
下)月と木と雲の組み合わせ
雲は瑞雲か流雲であると思われます。雲文にはたくさんの種類があります。喜び事の起こる前に感得する雲を瑞雲と呼んだようです。
コメント
初めて和布ものがたりを開きました。私も読んでみようかなと興味がそそられました。面白いです。これからも作品とともに期待しています。
投稿者: 水口妙子 | 2009年1月 6日 10:05