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山本多年の和歌〔2〕─山本治子

2007年5月21日 16:18

 どうして正臣氏の指導を受けたのかと調べたところ、多年には福田きぬ子氏という幼な友達がいた。京都の老舗のしっかい屋の夫人で、「みやび会」という歌会に属し、晩年の多年の人物評では、「歌気ちがいの人」で、正臣氏に師事していられたのでその紹介らしい。

(きぬ子君のおみちびきによりてこの度みやび会につらなりて)という詞ことば書がきをつけて
 ひなに住む薮うぐひすも時を得て文の林に入るぞうれしき

という一首もある。又、正臣氏に宛てて、(みやび会員に入る値うちなき者の厚かましくもきぬ子の君のおすすめに隋ひ、このたび初めて詠草さし出しあげ候。何卒み教へのほど願ひ上げ参らせ候)という手紙と詠草があって、返却のその詠草には朱筆で『御歌みな精神ありてよろしく承り候』と簡単に書き込まれている。

 それは明治30年を少し出たころ、多年の30才過ぎだろうか。このように初めは淡々と弟子にした多年だったが、出詠は熱心であり、又みやび会が宇治で歌会を催す時には多年らしい厚いもてなしぶりで、正臣氏も指導に東京、赤坂榎町から来られたようだ。次のような贈答歌もある。

 宇治川の瀬の音とまじりに玉琴の玉のひびきを聞きてけるかな 正臣

  (師の君に返し奉るとて 種子上)
 つたなさも恥しさをも忘れつつちり払ひけり宿の爪琴

 種子上というのは歌を見せるときにけんそんの心をこめているので、半紙の詠草の表には皆この「上」が書き込まれている。ちなみに半紙は横に二つ折りにしてそれを又折ったいわゆるお歌所スタイルである。この時、多年は千鳥の曲を奏でたらしく、晩秋のころのさびしい宇治の風光に添った、さりげない演出ぶりに正臣氏が感歎して、あと二首『宇治川千鳥』とか『木枯のこゑにまぎれず』などの歌を贈られている。ここに師弟の美しい間柄が伺われる。

山本治子(山本宣治の長女・1996年3月5日没)

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