006010_平和への軌跡
【11】山宣三男の出生地へ
2009年1月19日 18:35
山宣東京ツアー
06年4月、宇治山宣会会長の薮田さんと国民救援会の佐藤佳久さんが連絡を取り合って、「山宣東京ツアー」を実施しました。東京の折衝関係は佐藤さんがフィールドワークの案内を部落問題研究所理事長の成澤さんにお願いしました。
山宣の東京の足跡は、園芸見習い時代、東大時代、そして代議士時代と刺殺・葬儀などです。その足取りを辿るには多くのポイント、事前の調査が必要でした。東大時代に住んでいた林町64番地の跡地の特定、ここで山宣の三男・浜田繁治さんが生まれましたが、その場所を特定するのがこのツアーのきっかけでした。
06年4月10日(第1日目)午前、京都から東京へ。午後1時30分頃に共産党資料室で大田区の車さんが寄贈された「唯生唯戦」の揮毫などを見学し、3時半から4時頃に婦選会館訪問。午後5時頃に青山斎場・無名戦士の墓(山宣労農葬等のゆかりの地)へ。
11日(第2日目)午前10時から12時まで早稲田大隈庭園:大隈重信と大山郁夫と山宣の関わりについての話と見学(案内・話は早稲田大学政経学部教授の梅森直之さん)。午後、文京区の山宣ゆかりの地へ、小石川植物園、林町64番地、葬送行進の道であった本郷通り。その夜の懇談会には、井出武三郎氏、浜田繁治氏、平澤浩三、松本和夫氏、橋本進氏らの参加がありました。
12日(第3日目)午前、佐藤佳久氏、成澤氏らのご案内により山宣の訪れた喫茶店パウリスタ、光栄館や遭難にあった神田周辺を散策しました。
繁治さん大感激!
このツアーの最大の目標は「繁治の生誕地調べ」でしたが、宇治山宣会の役員はもとより、国民救援会顧問の佐藤佳久さん、井出美代さんの娘婿・永島民男さん、部落問題研究所理事長の成澤榮壽さんらの調査(昭和12年の地図)と事前見聞が相まって、「林町64番地の枝番号」の中の「理科の家」近くの高橋さん宅を探す事ができました。次が浜田繁治の感想です(全文は『山宣』12号)。
「4月22日、ツアー一行は高橋さんの家の前に立ち、“なるほど、この辺りだなー”の思いを深めました。この辺りは巨大化した東京の大通りやビル街でなく、道もせまく2階建て作りの木造日本家屋が大部分で閑静な屋敷町風情が残っていました。高橋俊子さんは上品な老婦人で、お話では、ここにお住まいになったのは、山宣一家が宇治に引き揚げた後で直接の接触はないが、親戚がこの辺りに借家を持っていたので多分この中の一軒だっただろうということでした。
私はここで生まれたのです。
<中略>私は長い間、こうした事情を知りませんでしたが、中学生の頃、山宣の伝記・年譜でそのことを知って以来、私の心の誇りとして一代持ち続けている次第です。このたび、前記の方々のお力で自分の生まれた地とその頃の生活の様子を承知することができましたのはこの上もない喜びです」。