006010_平和への軌跡
【17】自由大学の地:信州上田と下伊那
2009年3月 7日 18:30
長野県佐久地方と下伊那地方は自由大学運動がおこり山宣が講演に招かれ出かけた所です。私は長野県育ちでもありこの両地には佐々木敏二さんに同行して当地の活動家の皆さんの語りを聞かせていただきました。
上田郊外別所温泉
長野県の上田郊外の別所温泉に「山宣、タカクラ・テル、斎藤房雄記念碑」があります。初めてつくられた山宣の碑です。Vita breivis Scientia Longa(人生は短く科学は長い)と言う山宣の得意の造語の書かれており、元はヒポクラテスの「…芸術は長い」です。刺殺後1周忌記念に建てられたのですが、警察は壊せ、の命令です。斎藤房雄さんは碑の台座だけ壊して本体はこっそり旅館の庭石として埋め警察へは「粉々に壊しました」と虚偽の始末書を出して碑を守ったのです。こうして「作られ、こわされ 保存されそして再建された」のでした。
この地は江戸時代には百姓一揆があったところで、「上小農民連合会」の運動が活発に展開され、文化運動としての白樺派の取り組む素地がありました。大正デモクラシーの高まりで1924(大正13)年に「上田自由大学」が生まれました。この推進者は土田杏村やタカクラ・テルらでした。山宣も講師の一員として講演していただけに、山宣の死は上小農民組合の人々にとっては強烈なショックだったようです。翌年5月1日、山宣講演記念碑の除幕式は多数の警官に取り囲まれる中で挙行され約千名の参加がありました。この参加者がデモ行進に繰り出して長野県下初のメーデーとなりました。