006010_平和への軌跡
【22】記念館訪問:読めない3文字を追って
2009年3月11日 16:02
山宣資料館を訪れる人の中に外国からのお客さんが目立つようになりました。例えば産児調節運動の調査に来た米国女性研究者、エスペラント運動に関わるヴェトナム人など。中国から来られた方はこの郭沫若の五言律詩もご覧頂いておられるでしょう。郭沫若の書体は「故宮博物館」や「中国銀行」と中国各地の名跡等で墨蹟が見られる当代きっての書家です。ところが我々はこの揮毫を読めず、特に1行目の3文字の解読・解釈では異論が出ました。そこで北京の記念館の彼の娘の郭平英氏に判読を乞うため、山宣の次女・井出美代さんらと北京に出かけました。
故宮の北西の胡同遊の近くにある郭沫若記念館は四合院という伝統的な建築で、彼の住んでいた書斎、応接間が展示場となった博物館でした。塀に囲まれた館の朱門をくぐり中庭に入るとボタンが中央にあり、海棠の古木が両脇に立つ古き中国の空間がありました。館長に訪問の目的を話す前に、山宣の反戦平和に賭けた生涯を述べて、タネさんに贈られた律詩の実物大のコピーを渡しました。山宣資料館から持参したこの漢詩は郭沫若全集(30巻)には載っていないもので、今後編集する「郭沫若年表」に追加したいとこの新資料の持参をたいへん喜んでくださいました。
郭沫若は古代中国史の研究や文学新運動に加わり、『女神』や『屈原』の史劇等の創作と多方面で活躍。『郭沫若全集』は30巻にも及んでいる文人・学者です。1字1字の使い方に深い意味が込められています。焦点の「紅旗労桿衛」の「労」について、館長は動詞的な用法のほかにも副詞的用法もあると話され、別室から取り寄せた分厚い辞典でその根拠を示されました。
その後の夕食会には中国対外文化交流協会常務副会長劉徳有さんが来られました。彼は1955年の郭訪日の際、秘書を勤め、3週間の学術交流日記である『郭沫若・日本の旅』(サイマル出版会)の著者でした。この55年時は、日中国交未回復期でしたが、郭訪日はその夏のバンドン会議で確認された平和共存路線の実践であり、双方の文化学術交流促進となり、その意味で彼の果たした役割は大きく、この揮毫は友好と交流の架け橋を果たしたといえます。
日中関係は小泉内閣の靖国・教科書問題に見られるような脱亜米追従政策のために冷え切ったかに見られますが、私は上海や北京での数次にわたる性教育の学術交流の経験からしすと、平和憲法9条を守り発展させる事こそが、中国の友人から信頼され、国民レベルでの友好交流を着実に進めていく保障です。今回の山宣が関係する揮毫の判読の旅からも、この架け橋をますます強くする事の大切さを実感しました。その揮毫について、4人の方の解釈を紹介します。
・筧文生(立命大名誉教授)
紅旗桿衛を労す 孤塁信に孤に非ず 民葬は三五を惟い 血の誓は江湖に満つ
業は顕かに園丁は貴く 名は騰る花屋敷 義は生と同に永に在り 万古姓名は朱し
・永島民男(山宣の孫、井出出美代さんの娘婿)
紅旗は労めて桿衛され孤塁信に孤に非ず 民葬は惟れ三五にして血誓は江湖に満つ業顕かにして園丁は貴く名は騰る花屋敷 義同じうして生は永に在り万古姓名は朱なり
・浜田繁治(山宣三男)
赤旗は今 巷になびき 孤塁といえども そは弧に非ず 三月五日の死を悼む聲
プロの誓いは 栄に盛り上がる 民の味方の 情熱と業績 尽きぬ誠は 花屋敷から
戦う節操を 同志とともに 山宣の名は 永遠に輝く <プロはプロレタリアの略>
・橋本安彦(京都総評顧問)
赤旗を暴圧に抗して護り 「孤塁」は背後の大衆を確信す 人民は無念の三月五日を忘れず 血の誓いは国中に広がる 業績は顕彰され 人格は貴く はぐくんだ花屋敷は 賞揚さる 志は未来永劫に引き継がれ 「山宣」の名は永遠に燦たり
記念館訪問:読めない3文字を追って
のタイトルを見てびっくりしました。実は私も今年の9月に読めない3文字を追って北京の郭沫若記念館を訪ねてきました。1965年夏、中日友好の扇子に書かれた7言絶句の3文字が不明でした。副館長らに面会し、判明しました。